2020年11月2日
もうお夕飯を食べたのだからまたどこかへ行くというのもヘンだけれど、京都に来たのは、友人知人読者さんの各展示に対するあらゆる不義理をおして、唯一時間がとれたジュン・サンの初個展の展示を見に来たからで、ジュン・サン展の流れでそりゃ飲みに行きましょうとなるに決まっていた。28年前からの続きで50歳で初個展。初日に絵が間に合っていなかったけれど、でも展示会場で絵を描き続け(!)、わたしが到着した最終日前日には壁にはずらっと絵があり、中央にしつらえたテーブルには描きかけの絵もまだあった。会場では佐野元春の「YOUNG BLOODS」が流れていた。テーブルには食べかけのチョコレートが散らかっていた。机の下には壊れた内部をあらわにした年代物のノートパソコンが、それもまた現代アートである、みたいにして横たわっていた。もう1週間近くジュン・サンは、銭湯に通いながら寝泊まりしているという。ジュン・サンが教えてくれた店は、地元の人でもなかなかたどり着けなそうな、ご夫妻が営むお寿司屋さんだった。タクシーの運転手さんに行き先を伝えると「あのお店まだありますのん」と3回は感心していった。お店には、テーブルがふたつあって、到着する直前までカウンターもわたしたちの予約席をのぞいて満席だった。おくさんであろう女性が、おすしのお持ち帰りの包みをそれはきれいに包んでいた。きっちりとお寿司がつまった中身をのぞきたくなった。背後で話している男性たちは、関西でしか見ない顔つきで、同じくらい見たくなってしまう。これまで見たことがない顔なのだ。顔が小ぶりで、どうもはっきりしすぎている。あんな顔見たことない。発声からして違う。すごく溌剌としている。ビールで乾杯したあとは、めいめい好きなものを選んでいった。まずシマアジを食べた。ネタが分厚くて、口のなかでどわっとおいしさが広がる。イワシも穴キュウ巻も全部目がまるくなるほどおいしい。ジュン・サンの友だちは、わたしではなくて福ちゃんなのに、福ちゃんを飛ばしてどういうわけだかずっとわたしの顔を見て話している。ジュン・サンの潤んだ目を見て、おいしいお寿司を食べていたら、自分が今どこにいて何をしていて誰なのかわからなくなってきた。だいたいどうしてわたしの逆隣には、ジュン・サンが最初にこの店に連れてきてもらった女性が座っているのだろうか。どうして「みれいさんは何の仕事にしている人ですかクイズ」がはじまっているのだろうか。そんな頃に、二人の友人がおいついて5人でカウンターに並んだ。おくさんは、わたしたちに全員の背中に、同じまんまるのステッチがはいっているのを見て、いぶかしげだった。「オカルトとかいわんといてよ」って、おくさんはテーブルを拭きながらいった。ふと店内の壁を見上げたら、「萬丸」って書いてある。まんまるな店にまんまるステッチの5人が集合してるのは、オカルトっていうよりも、むしろ完全さのメタファだと感じた。ヤングブラッズ、肯定のメロディ。話すうちにジュン・サンとわたしは同じ年の1月と12月生まれであることがわかった。「冷たい夜にさようなら」。佐野元春さんの声を思い出しながら、路地裏の若者たちの喧騒に紛れて帰途につく。50歳ってほんとうに、なんというか、20歳みたいなんだなあと思いはじめていた。
◎ 佐野元春「YOUNG BLOODS」
https://www.youtube.com/watch?v=eDPj3KmxBPg
◎ ジュン・サン
https://www.instagram.com/jun__than/
◎ ジュン・サンにまつわるもうひとつのエッセイは、「mmbsほころんだ、ほころんだよ通信2020冬−2021新春」(購入してくださったかたにお配りしているzine)に掲載予定です
2020年10月26日
急遽京都へ行くことになった。フクチャンはもうずっと前から淡路島へ行きたいし、この金曜日と土曜日ならば、その両方になんとか行けそうだと直前に決めて西へ向かった。美濃から京都は車で2時間半くらいかなあ。関ヶ原を超えたあたりで、もうここは東海圏ではないと感じる。きっとことばも違うはず。滞在中は期せずしておいしいものばかり食べることができた。「菜食 光兎舎」は、ランチ営業だけなのだけれど、いろいろ事情があっておなかがペコペコで営業外だったのだけれど、特別にゆうきくんがまかないごはん的なごはんを少しだけ出してくれた。その日のランチメニューでもあったきのことなんだったかな、何かを合わせたポタージュをまず出してくださって、濃厚な秋の味のなかに淡い酸味がほどよく感じられて、度肝を抜かれた。繊細で、でも陽気で、たのしい味だった。見た目も京都らしいうつくしさで彩られて、本当に感心してしまう。お惣菜の中にれんこんのきんぴらにもびっくりした。この日はパセリであえられていたのだが、通常はディルであえるのですって。あと水にさらさないっていってた(わたしもそういう方向性が好み)。歯ごたえがあり、お醤油とみりんとお酒と唐辛子で煮た正統派の味ながら、パセリの香りとあいまって、びっくりするほどおいしい。味を、つい、二度見する感じ。自分でもぜひつくってみよう。なますも玄米ご飯もなにもかもおいしい。京都ってなんてすてきな場所なんだ。ゆうきくんがつくりだす食の世界がさらに進化していてにまにましてしまう。ありそうでどこにもない、家庭で食べる自然の味が、こう、ブラッシュアップされて、でも、洗練されすぎない家庭的な控え目さとともに、にぎやかにわいわいと供される光の兎のお店なんであります。跳ねたくなりますね。近所のかたがたは、こんなお店があってとても幸運だ。
光兎舎
https://www.instagram.com/s.kousagisha/
2020年10月19日
日曜日の夕方、特に4時あたりってほかにはない時間帯だと思う。たとえばこの時間に電話で話せる相手、あるいは話したいと思う相手は、とくべつな相手という気がする。ちからが完全に抜けてしまっている時間。あいまいで、ぼんやりしていて、無意識が表面に出てしまうような。最大限にリラックスしているときといってもいい。だからといってここちいいわけでもない。少しへんな時間。安逸を貪るための時間といったらいいか。そうそう、プリミ恥部さんの「感謝」というエッセイの冒頭の一文、「曇り空、最近好きだ」というような気持ちといってもいい。まさに昨日はその時間(もちろん日曜日だ)に、プリミさんとトークライブがあって、公で、その(わたしにとっての)無意識の時間を共有することになったのもおもしろいと思ったのだけれど、まさに美濃は、この「感謝」のエッセイの冒頭みたいな曇り空で、突然寒くなっていて、つい数日前までTシャツだったのに、セーターを引っ張り出して着るような気温になっていた。沖縄にいるプリミさんのほうはといえば、こんがり日焼けして、今まで見たことがないような陽気さで画面の向こう側にいた。あかるい陽の中でmoriiyukoさんのオーナメントとともに、揺れて、さらなる脱力のなかで、あたらしい歌を歌っていた。プリミさんが、歌に出てくるピンクビーチを堪能する頃、わたしは、小屋にある薪ストーブの火を凝視していた。火はいくら見ていても見飽きない。薪が火とじゅうぶんに一体化して最高の状態になった瞬間を見るのが好き。薪にも春夏秋冬があり、薪じたいがとても極まる時間がある。そのとき、火そのものとなった薪をトングで叩くと、ぱあっと割れて銀河のようになる。星々が散り散りになる。こちらもついまぶしい気持ちになる。海岸のピンク色も、薪の火のほのおの朱色も、どこかでつながっていて、同じ暖色ならではの愛を享受しているかもしれない。ふと、日曜日の午後4時に電話で話していた、あのまどろんだ時間のことを思い出す。あの時間に話していたあの人たちは、今どこで何をしているんだろうか。でもどんな想像も、もう、こころに思い浮かばなくなってしまっていて、自分が、以前とはすっかり違う、あたらしい場所にきてしまっていることを知り愕然とした気持ちになったりもする。
2019年11月14日
c 松岡一哲
かあさん、
わたし
40だいもこうはんになっても
まだかわりつづけているのと
おおあめのひに
まったくたいようがみえないそらにむかって
うそぶいてみる
かわってかわってかわって
わたしはあいになってしまった
昨秋のことだ
あいになってしまったら
ぜんぶわかる
あいになってしまったら
さかいがなくなって
そうして同時に
かんぜんなるひとりきりになる
かんぜんにぜんぶとつながってる
そしてひとりなのやっぱり
あはは
おかしいね
いや まって
かなしいのかな
あらゆる感情という感情が
どんどんどんどん
背中の各所からとびだしていく
龍の背なに乗って
さよならわたし
こんにちはわたし
おおあめの向こうから
山がこちらをのぞいてる
山だって
おお
わたしじしんなのであった
2019年2月10日
からだごと感謝になって歩いていたら
きら
きら
きら
と空中で光がまたたくようになった
天使ですか?
霊界の視点はいつだって清(さや)か
2018年4月7日
©Ittetsu Matsuoka
友だちが少し前にZAZEN BOYS をYou Tubeで見はじめたら止まらなくなってしまったという話を聞いて、「えー、それもう、何年か前に終わったブームだわ」と思っていたら、この春突然、同じ病気にかかってしまった。早この2日間、えんえん、ZAZENをYou Tubeで見続けている。COLD BEATとか。冷凍都市のど真ん中の、ね●500ページを超える写真集『マリイ』のリリースがいよいよ目前に迫り、胸の高まりを抑えられないのか。写真集『マリイ』について、松岡一哲くんという写真家について、語りたいことは山のようにあるのだけれど、なかなか語れない自分がいる。安易に語りたくなんかないとも思う。本当に優れた写真には、何をいってもことばなど陳腐なのだと今回ほとほと思い知らされたからだ。ことばなどで語れないものがあるから、写真家は写真を撮影するのでしょう? だとしたらことばで何かいう必要などあるのだろうか? ●若いころある一部の音楽誌を除いて音楽について書かれたものを読むのがつらかった。音楽が言語化するとは、ほとんどの場合が無駄なことだと感じる。ライターの過剰な自我と承認欲求で溢れた原稿をどう読めばよいのか。ライナーノーツも好きじゃなかったし。音楽は聴けばいいだけのことだし、写真も観ればいいだけのことだって思う。ことばにならないから、音楽は存在し、写真というものが在るのでしょう。一哲くんの写真が、今回、もう、いやというほど、そのことをわたしに突きつけた。500ページ、何度観てもページをめくる手を止めることができない。佐々木暁さんが信じられない精度で一哲くんを、マリイを、編んだ。見開きごとの完成度はただならぬことになっている。一哲と暁と、そしてこの二人をこんなにしてしまうマリイって、もう、いったい、なんなんだよ! 写真集のオファー時に暁さんが地下深い暗闇で泣き、初校ではわたしが都立大学で号泣した。昨年六本木のタカ・イシイギャラリーでルイジ・ギッリを観たら、まったくもって、一哲くんはこの系譜にある芸術を、いや、これ以上の芸術をつくってるんじゃんと頰が紅潮した。わたしは、この数年間、写真という芸術と対峙した。とんでもない写真集ができてしまった。
2018年3月29日
わたしは、なんだけれど、ことさら声高に、〜を愛しているって、すきであればあるほどいいたくないたちだな。この土地、この環境、たとえば市とか県とか、ときには国っていうくくりになるこの場をわたしは、わざわざ声をあげなくともあたりまえに愛しているし、土地のウニヒピリや精霊たちだって、わたしの気持ちをすごく感じているもののように思う。愛しているって、どういう関係であれ、そうやってそっとうちうちで交換される、かつ通じあう何かなんではないかなと思っている。「おしどり夫婦」の大半が仮面夫婦であるように、逆に本物の夫婦は、きわめて無に近い目立たないものなんだと思う。あえて仲がいいとか、愛しているとか、その「かたち」を話題にのぼらせなくてはならないというのは、不安感があったりなんらかの弱気から起こるものなんじゃないのかな。愛国とか愛県とか愛市とかいわなくたって……たとえば愛犬家なんて名乗らなくたって犬のこと好きだし。愛し合っているふたりというのは、目と目でみつめあえば、ことばなんかなくたって充分にわかるものだと思っている。わたしと土地や国との関係も、ほんとうに、まったく同じなのだと思っている。こんなことをわざわざいいたくもないけれど、でもなんか、言語化する必要がある気になって、書きました。久しぶりに。
2017年9月2日
バッハのフランス組曲アルモンドについて、このように述べようと思っていた。人生の序章、これから始まると言わんばかりの高揚感。小川のような流れのある調べ。すべてこの美濃での生活を象徴するかのようである。それでいて、1曲の中に、いきようようとしたやる気、期待、ちょっとしたつまづき、やり直し、仕切り直し、問題の発生、困難、挑戦、挑戦、忍耐、忍耐からの夜明け、一旦来る許し、変容、変容から、いきなり天使の世界へ。目に見えない世界は、この目に見える世界の大元で物質界はただ単に生き写しに過ぎない。天空で何が起こっているか。そこにもドラマがあって、かつそこには許ししかないという事実、許し、許し、最後においては許しだけになるという、まさに人生と、死んでからの人生みたいなものがたった短い1曲に詰まっている。弾き方は、まるでできないけれど、グレン・グールドみたいにはやく(本当はスタッカートだらけで弾いてみたかった!)弾いたほうがノれることが本番前々日にわかって挑戦だっだけれど、できる限り早く弾いた。そもそもピアノを習い直そうと決めたのは、岐阜でN響の演奏&チャイコフスキーのピアノコンチェルトを聴いたことがきっかけだった。あの時わたしは、死んだばかりの母とはっきり対話をした。具体的な助言まで降りてきた。音楽というのは、天につながる通路をいとも簡単につくるのだと驚愕した。今回発表会でバッハを弾いたら、やはり、母を思い出した人が会場におり、少しは成功したといえるのだろうか。なお、先生と連弾したエリック・サティのピカデリーは、焼肉屋さんでじゅうじゅう何かを焼いているかのような、もうもう煙が立つような演奏だった。会場となった夕暮れの美濃保育園も最高だった。わたしにピアノがあってよかったです。
2017年6月14日
この歳になって発表会なるものに出演することになるとは誰が想像しただろうか? 先生は春に、「みれいさんにはバッハがいいと思う」といった。わたしもそれがいいと思った。バッハは、どの作曲家とも違う陶酔感、高揚感、無に至る感じがすごい。自動演奏みたいになってくる。天と地と私だけになる。バッハの中でフランス組曲からある曲を選んだ。練習しはじめたら、もう止まらない。すぐに続けたくなってしまって何度も何度も何度も何度もアホみたいにループしてしまう。練習が練習でなくなってただもう指が止まらない。赤い靴はいた少女状態。くるくると踊らされる。それだけではない。朝起きれば起きた瞬間から昨夜練習したフレーズが頭で鳴り続ける。歩いていても食べていてもフランス組曲。寝て覚めてもフランス組曲。左手の音の流れ、主なメロディライン、そして中間のラインの音たち……。バッハ、一体、アンタ、どうなってんだ⁉︎ 人生のはじまり、高揚、事件、落胆、許し、何もかもが音符にのっている。そこに自分自身が入り込むと陶酔となる。これはもはや麻薬である。依存症である。フランス組曲中毒である。猫は私が心配になったのか、バッハを弾きはじめると必ず、傍らで黙って番をするようになった。発表会は、岐阜にて、夏の夜に小学生を中心にとり行われる。
2017年5月19日
土を耕す、苗を植える、種をまく、たけのこ掘り、わらび採取、ジェフ・バックリー大音量でたけのこの下茹で、わらびも下茹で、米ぬか、木灰、唐辛子すべて自家製とわかりひとりほくそ笑む、iaiの服はひとつの事件である、わたしたちは事件の目撃者である、革命はもう起こってしまった、山菜の天ぷら、傷跡はもう少しで消えそう、川辺でよもぎ採り、暑い、帽子の中によもぎを入れる、山へ移動、すでにふらふらだし、倍音のうぐいすによるねぎらい、一体どれだけの太い声なんだ、たけのこが見つかる、父に報告、父Kトラで向かう、父掘る、3つあった、よもぎを水洗い、それをはらう時によもぎシャワーになる、よもぎシャワーを顔に浴びる、ツバメ、ツバメ、ツバメ、セリを水辺に見つけた、セリが本物のセリか隣のおばあちゃんに確認、本物だった、エンドウをいただく、へびいちご採取、へびいちごのチンキづくり、ドクダミの若い葉採取、ドクダミのチンキづくり、キハダと甘草の焼酎漬けづくり、エゴマのしょうゆ漬けづくり、種をまく、水をやる、暑い、振り返ればアスパラガス、ディルとコリアンダーはいつだって風に揺れている、増山たづ子写真集見て泣きながら眠る、徳山村はうつくしかった、徳山村の人々も、バッハ、フランス組曲ドイツ風に、突然の悲劇それが人生だ、しかしいつしか夜明けもやって来るそれも人生だ、グレン・グールドはなぜ右手と左手を独立して弾けたのか、右手と左手がいつの間にかお互いを依存しあい境界線がなくなってしまう、バッハを弾く右手と左手にこそみの虫革命を、美食家の玄米リゾットは独立の味、おにぎりは3種握る、田んぼの畦を見守る、カエルはいつだって逃げる、自生のイタリアンパセリとコリアンダー発見、自生のディルは大量に、立ち話、立ち話、立ち話、立ち話、立ち話、近所の駐車場ではイチゴが自生、どうなってんだ?(北の国からで木谷涼子先生に純が言うような発音で)、種まきの上には藁を敷く、お茶っぱの採取法とモミモミ法を明日90歳の隣人から教わることになった、次のことをみんな考えてるね、塩むすびがいちばんおいしいことの秘密は果たして加齢なのか、近所のおばあさんにディルをプレゼントした夜、永遠に続きそうだわこの黄金週間
2017年2月20日
神は外側にいるのではない
神はわたしの内にある
内にあって輝いている
わたしがそのことを忘れているときでさえ
サックスのブー
トランペットのパオー
ギターにどれだけエフェクターつけたって
神はいる
そこかしこに 空気の粒子のツブツブに
時にプンクトゥムかのごとく
投げられた武闘家の背中(せな)にも
雨でもない
かといって雪でもない
空から光が舞い降りる中(なんと山あいの町では光が降る日があるのだ!)
ピアノ教室へとうつむいて歩きながら
我が世の神を悟る
誰だって勢いよく神である と
誰だって勢いよく神である と たびたび
2017年2月15日
どん底を知った人は、本当に陽気だし、
極めて厳しい世界を覗き込んだことのある人は、どこまでもやさしいと思う。
何のために生きるのか、よくわからないけれど、
でも生きるならば、いろいろなことに納得して生きていたいな。
こないだピアノの教室で
バルトークのミクロコスモスの何番かを弾いてパッと先生を見上げたら、
少し涙ぐんで「アマチュアの人の演奏は、
時にすごくいいものがある」と言った(先生はすごくよく感動する)。
「どうしてですか」とたずねたら、
プロのようにテクニックに走らず、
また大勢の人にウケようと思っていないところ、
誰か一人だけに聴かせようとするような演奏が、
時にすごく感動的になることがあるという。
その日のバルトークは特に自分では
うまくいったような気がしなかった。
やっとこさ、1曲弾いた。
でも、バルトークのミクロコスモスを弾くのは本当に好き。
メロディラインが今っぽいし、自分がのっていく感じがある。音の中に入るというか。
わたしは、先生に、
「わたしはピアノを誰のためにも弾いていない。
わたしはわたしのために弾いている。観客はわたし一人だ」と言った。
後から振り返ってみたら、ずいぶんとかっこいいこといったものだけれど、本当だ。
仕事は、どこか人のためにやっているところがある。
人を喜ばせようとする気持ちがある。
でも、ピアノは違う。自分のためだけに弾いている。
自分だけの喜びのために。
自分が自分という存在を納得する、
そういう瞬間のために。
2017年2月4日
ま あたらしい時代がやってきた
かるくて ひょいひょいしてる
きらきらと ひろがっている
みんなが ひとつであるひみつも
かくも かんたんに あけてしまった
おもいもよらない あい
そうぞうもしなかった せかい
うつくしい 以上の うつくしさ
おもいが そのまま かたちに な る よ
ラットレースから いよいよぬけだす
もう どこへ だって いける
なににだって なれる さ
そうだ わたしたち
バルトークの
土埃香る 白い 音符
あの音階となって生きる
まっ白く
かぐわしい
あの音楽
そのものとなって
句読点は もう いらない
『まぁまぁマガジン 22』 2017年|服部みれい より
このページ、昨年の夏の終わりごろからまったく更新してなくてごめんなさい。
どうしてだろうと思い、振り返ったら、9月から猛烈に忙しくなっていたのでした。
(遠い目しちゃう)
考えたら大変だったワ、わたし。ものすごい量の仕事が降ってきてました。
でも、12月1月とよくお休みして、今はもう通常営業です。
たくさん学びました。たくさんあたらしい体験をしました。
知らないこといっぱいです。
今年はこのページ、もう少しハイペースでアップしてけたらと思っています。
心境の変化がたくさんあるからです。
愛を込めて、みなさまへ
立春 の日差しの中で
みれいより
2016年8月29日
最後にクラシックのコンサートに行ったのは、何年も前のある秋のことだった。その頃のわたしは、極秘にある人の介護をしていた。重病人の介護プレイ。精神的にも肉体的にも追い詰められていくわたしを見かねて、友人のえのちゃんがチケットをとってくれてわたしを誘い出してくれたのだ。小澤征爾さん指揮の何か。オーケストラもプログラムも覚えていない。でもえのちゃんのやさしさ、青年気質溢れる音のシャワー、サントリーホールのほんわりとしたシックな雰囲気に、ただただ脱力した。昨日は父が誘い出してくれた。岐阜にN響がやって来たのだ。1曲めは、スメタナの「売られた花嫁」(序曲)。 泣けた。曲に乗せて、亡くなった母がすぐさま登場したから。「いつも見守っているよ」というメッセージとがわたしを実際に包んだ。おまけに極めて具体的な忠告まであった。2曲めは、児玉桃さんを迎えてのグリーグピアノ協奏曲。最後にドボルザークのアメリカへ行く前の最後の交響曲(第8番)。こころの中で死者たちと交流し(音楽はしかるべき周波数に導くものなのか?)、情熱的な音の珠々に、ふだんクラシックになじみのない者でも存分に楽しめた。このコンサートの間に、わたしは決意した。わたしはピアノを習うことに決めた。30年ぶりに。つい今しがた歩いてすぐの友人かつ仕事仲間であるピアノの先生に、習いますといってきた。緊張した。だって、いよいよわたしは子どもに戻っていくのだと思うから。時空を超えるのだから。
2016年5月24日
2日と半分のフェスが終って、何をしていたかと思い出すと、詩についてかんがえてばかりいたと思う。だいたいフェスの2日前に、京都ホホホ座の山下賢二さんからご自身の詩集『シティボーイは田舎モノの合言葉』が送られてきたのがはじまりだった。この詩集をもってわたしはフェスにのぞんだ。フェスには、なんと山下さんご本人もいらして(びっくりした)、山下さんをつかまえては、「詩! 詩! 詩!」と詩まくりにし、詩の朗読を我々は(我々は?)どうやっていったらいいのかという論議をフリースタイルバトルなみのヴァイブスでまくしたて、福太郎さんに「みれいさん、暑苦しい」と真顔でいわれさらに火がつき、ホホホ座のブースに本を買うふりをしてはまた訪れ、詩の話をし、詩の朗読について語り合い、詩集を買う、などしたのだった。日曜日には詩を聴衆の面前で朗読した。前日のIrish Musicのライブ(今年はJhon Jhon Festival)を聴いてそれを詩にするというスタイルをとった。Irish Musicを聴かないとつくることができない詩。去年つくった詩よりも、直前につくった半ば即興のこの詩のほうがウケた。なぜかしら。詩情はフリースタイルバトルかツイッターうもれてしまったなどと山下さんには嘯いたが、否、嘘だ、詩情はそこかしこに確かにある。詩が必要とされる時代は、決していい時代じゃないのかもしれないけれど、でも、時代がどうとかはどうでもいいんだ、詩は根源的な存在であるにちがいなく、この根源的なヴァイブス? 否、根源的な純な衝動に、わたしたちは、いよいよ手をのばし、生々しく素手で掴もうとしている。芸能ではない詩に。
〈セント・ルイス・ブルース〉を演ってくれ
死んだら ぼくのために。
すばらしい 音楽が 欲しいんだ
あそこ 空の高みでは。
〈セント・ジェームス インファーマリ〉を歌ってくれ
ぼくを 埋めるときには―—
何故って そこいらで ぼくみたいに いい奴が
置いてきぼりに されることはない。
「鎮魂歌へのリクエスト」
『ラングストン・ヒューズ詩集』
(ラングストン・ヒューズ=著 木島始=訳 思潮社=刊)
より抜粋