2016年8月29日
最後にクラシックのコンサートに行ったのは、何年も前のある秋のことだった。その頃のわたしは、極秘にある人の介護をしていた。重病人の介護プレイ。精神的にも肉体的にも追い詰められていくわたしを見かねて、友人のえのちゃんがチケットをとってくれてわたしを誘い出してくれたのだ。小澤征爾さん指揮の何か。オーケストラもプログラムも覚えていない。でもえのちゃんのやさしさ、青年気質溢れる音のシャワー、サントリーホールのほんわりとしたシックな雰囲気に、ただただ脱力した。昨日は父が誘い出してくれた。岐阜にN響がやって来たのだ。1曲めは、スメタナの「売られた花嫁」(序曲)。 泣けた。曲に乗せて、亡くなった母がすぐさま登場したから。「いつも見守っているよ」というメッセージとがわたしを実際に包んだ。おまけに極めて具体的な忠告まであった。2曲めは、児玉桃さんを迎えてのグリーグピアノ協奏曲。最後にドボルザークのアメリカへ行く前の最後の交響曲(第8番)。こころの中で死者たちと交流し(音楽はしかるべき周波数に導くものなのか?)、情熱的な音の珠々に、ふだんクラシックになじみのない者でも存分に楽しめた。このコンサートの間に、わたしは決意した。わたしはピアノを習うことに決めた。30年ぶりに。つい今しがた歩いてすぐの友人かつ仕事仲間であるピアノの先生に、習いますといってきた。緊張した。だって、いよいよわたしは子どもに戻っていくのだと思うから。時空を超えるのだから。
2016年5月24日
2日と半分のフェスが終って、何をしていたかと思い出すと、詩についてかんがえてばかりいたと思う。だいたいフェスの2日前に、京都ホホホ座の山下賢二さんからご自身の詩集『シティボーイは田舎モノの合言葉』が送られてきたのがはじまりだった。この詩集をもってわたしはフェスにのぞんだ。フェスには、なんと山下さんご本人もいらして(びっくりした)、山下さんをつかまえては、「詩! 詩! 詩!」と詩まくりにし、詩の朗読を我々は(我々は?)どうやっていったらいいのかという論議をフリースタイルバトルなみのヴァイブスでまくしたて、福太郎さんに「みれいさん、暑苦しい」と真顔でいわれさらに火がつき、ホホホ座のブースに本を買うふりをしてはまた訪れ、詩の話をし、詩の朗読について語り合い、詩集を買う、などしたのだった。日曜日には詩を聴衆の面前で朗読した。前日のIrish Musicのライブ(今年はJhon Jhon Festival)を聴いてそれを詩にするというスタイルをとった。Irish Musicを聴かないとつくることができない詩。去年つくった詩よりも、直前につくった半ば即興のこの詩のほうがウケた。なぜかしら。詩情はフリースタイルバトルかツイッターうもれてしまったなどと山下さんには嘯いたが、否、嘘だ、詩情はそこかしこに確かにある。詩が必要とされる時代は、決していい時代じゃないのかもしれないけれど、でも、時代がどうとかはどうでもいいんだ、詩は根源的な存在であるにちがいなく、この根源的なヴァイブス? 否、根源的な純な衝動に、わたしたちは、いよいよ手をのばし、生々しく素手で掴もうとしている。芸能ではない詩に。
〈セント・ルイス・ブルース〉を演ってくれ
死んだら ぼくのために。
すばらしい 音楽が 欲しいんだ
あそこ 空の高みでは。
〈セント・ジェームス インファーマリ〉を歌ってくれ
ぼくを 埋めるときには―—
何故って そこいらで ぼくみたいに いい奴が
置いてきぼりに されることはない。
「鎮魂歌へのリクエスト」
『ラングストン・ヒューズ詩集』
(ラングストン・ヒューズ=著 木島始=訳 思潮社=刊)
より抜粋
2016年2月26日
どういう経緯でそうなったのかよく覚えていないが、ある夜、小2の男子とねっころがって話をしていたのだった。「馬頭琴ってしっとる?」というから「しっとるよ」といったら、流れでスーホの白い馬の話になった。「その話、教科書で読んだかも。でも話おぼえとらん」といったら、小2男子が、それはそれはていねいに、順を追ってストーリーを話してくれた。白い馬が馬頭琴に生まれ変わったところで、わたしは「思い出した!」といった。なんでも山奥の小2男子の学校では、先生が馬頭琴がどんなのか見せてくれたり触らせてくれるのだって。小学校教育もなかなか捨てたものじゃない(いや、あの小2男子の物語る力を見せつけられて、小学校の授業ってどうなってるんだと思いました)。「あの音を聴くたびに、こころが癒されるんやって」。小2男子の横顔をねっころがったまま眺めたら、まつ毛が長くて、びっくりして、「そのまつげ、マッチ棒乗るに。みれいさんも乗るんやに」といったら、マッチ棒がいまいちよく分かっていない様子だった。起き上がるころには、ずっと痛かった背中の痛みがまったくなくなっていて驚いた。
2016年1月29日
大きくなっている声が真実とは限らない。ちいさな声のなかにこそ、眠っている、光る、真実もある。あたらしい時代はそこここではじまっていて、その陽光による混乱が、今そこここにある。旧い考え、旧い体制、旧いありかた、旧いわたし。旧いなにかと終ってしまったなにかにしがみついて、「離れまい」とする叫び声が、そこここで響き渡る。そして叫び声の存在が、あたらしい時代がはじまっている事実を際立たせる。どんな混乱のあとも、時が経ってみれば、純粋なものと必然だけが残る。否、この瞬間も、本当は、何が純粋か、はっきりとわかっている。勇気を出して視線を向けさえすれば。わたしたちの中にある闇も、ひとたび鏡にうつって認識すれば、たちまち溶解する。ただ、目を向けるだけで――。時代は、想像しているよりも、あたらしくなりつつあり、そのスピードは加速している。あわてようが、あきらめようが、あたらしい扉は次々と音を立てて開いている。長いけれど引用させてください。
「自分が被害者になることを教えられた人というのは、加害者に出会うものです。だからといって、加害者がこれをいいわけにするわけにはいきません。加害者というのは自分が非常にパワーのない人間だと思っています。そのために他の人を支配することによって、自分のパワーを感じたいと思っているのです。でも人間は、これらをクリアにすることができます。(中略)
被害者と加害者は、お互いをひきつけ合っています。
加害者というのは、被害者の被害者なのです。
そして、被害者というのは、ある意味では加害者なのです。
被害者は、自分で加害者の弱みをつくようなバイブレーションを出して加害者をひきつけています。そして加害者にこういいます。『私はここにいるよ。ここにエサがあるよ。どうぞ私を攻撃してください』と。(中略)
加害者は、自分はパワーを持っているということを最も信じていない人です。
加害者は、どうすることもできないという寂しさを感じる人達です。でも、そういう感情を感じたくないわけです。そのために、自分よりももっとパワーを持っていそうだと信じる人を攻撃するわけです。そして、自分が攻撃した人よりも自分のほうがパワーがあるんだということを感じたいわけです。
本当は心の中では、沈みそうだ、死にそうだと思っている人達が加害者なのです。
加害者はひとりぼっちでいたくないのです。
自分達と同じように一緒に引きずり込んでいきたい人達なのです。
本当に自分のパワーを信じている人達は、この考えを誰にも押しつける必要がありません。自分の中にパワーがあるということを信じている人、そしてまた自分の欲しいものを得るために外界を支配したり、操作する必要がないと思っている人達は、加害者になる必要がありません。
このような考え方を、あなた方の社会に教え始める時、加害者はいなくなります。そして被害者もいなくなります。まったくいなくなります」
『バシャール②』(ダリル・アンカ|関野直行 VOICE=刊)より抜粋
2016年1月18日
2016年ってこんな感じかなーと、手帖やダイアリーを制作する身としては、半年前から2016年にコミットしていたのだけれど、思っていたのと、ちょっと違っていた。思っていたより、もっとハイパーで、はっきりくっきりしているかも! すごい! なにもかもあかるみにでる。なにもかもはやい。すごいといえば、年末年始、宇宙人の本を読み過ぎたせいか、最近、夢もすごい。夢に登場する人物が、本当に、今、ここに、いる、という感じで、起きたあともその人の気配がするほどだ。これは何? ディテールもいきいきとしていて、あっちが本当でこっちが夢みたいな気すらしてくる。わるい気はしない。次元はあちこちで開かれ、もっと行き来ができるようになるのかもしれない(すでに行き来をしているのかもしれない)。そうして人間のうちに眠る神性のひみつが、もっともっとあきらかになるかもしれない。そんなあたらしい時代には、あまりにシンプルだけれど、たのしく、うつくしく、おもしろく、のんきに生きることが、キーなのかなと感じている。シンプルさを信じる態度こそ、あたらしい、というか。
2015年12月31日
ここ数年、もう時間の感覚がぐちゃぐちゃで、はやいんだかおそいんだか、よくわからなくなっています。でも、この感じって、いよいよ時間の幻想から目が覚めそうってことなのかしら? それとも肉体的に年をとったってこと? ま、どっちでもいいや。今年をふりかえるのも、これからのことをゆっくり考えるのも、まだ少し先になりそうですが(なにも終っていなくて旧正月をお正月とする気まんまん)、まあなんだかすごい変化の年でした。内面的にも。あいもかわらず、「こうだよね」っていう予定調和的なことを、シンプルにいえば、今を超えていきたいナと思っています。というわけで、ということではないけれど、年末年始は宇宙と宇宙人の本を読みまくります! 贅沢! みずからを更新していくことは、愛のいとなみですね。ちいさな革命をいつも。2016年も、どうぞすばらしい1年になりますように。追伸 マーマーなフェスでお花を担当してくださった横山さちこさんのお花たちが切手☆になっています! 郵便局でぜひゲットしてネ(興奮) peace of I みなさまに愛と尊敬をこめて みれいより
2015年12月3日
とうとう人間のことばをしゃべるようになってきたのは、あたり(猫)である。前からたいへんおしゃべりな猫ではあったが、ここ数週間のおしゃべりには目を見張るものがある。「ごはん」というから 、「えー、さっきあげたじゃん。もうほしいの? 食べたばかりでごはんごはんというのってちょっといやしくないですか?」と返せば、「いや、ごはん。ごはんちょうだい」という。「いやー、食べ過ぎですよ、いくら秋だといったとて」「ごはん」「でも、アンタ、このチキンだってサ、残してるじゃない?」「にぼし」「えっ、にぼし食べたいの」「にぼし」「あのサ、猫だからお魚好きなのわかるけど、にぼしって塩分けっこう高めらしいよ」「にぼしにぼしにぼし〜!」「えー、しかたないな。少しだけだよ」(にぼしを数本あげる)「はふっ! うれしい! ちょっちゃんあんがと〜♪」。なぜ、あたりがわたしのことをちょっちゃん、と呼ぶのかはなぞだけれど、髪の毛を頭上でひとくくりにしているのをそう呼ぶのかなと思っている。ちょんちょろりんの略なのである。
2015年10月29日
田舎にきて、何がこころの栄養になるかといったら徐々に移ろう自然の景色である。毎日毎日微妙に変わる山の色。うすい緑、深い緑、黄金に変わる田の風景。編集部の軒下に巣をつくったつばめ(吉岡さん夫妻)と子らの成長を見るのもそうだった。日々、ごくわずかに変化する、うつろいのみごとさよ! 吉岡さんは、2度、子育てをし、2回目は3人の子をうんだ。あーちゃん、いーちゃん、うーちゃんと名をつけた。毎日3人の子の顔を見た。みるみる大きくなった3人の子と吉岡さん夫妻は、ある日、巣にいなくなった。初夏、とうとう、巣立ちの日はきたのだ。たまたまきていた海・ソーヤー君と、巣立ったね〜と巣をみあげた。その日の夕方のことだ。わたしはひとり窓辺に足を運んだ。声がする! 向かいの電線に、5羽のつばめはいた。吉岡さん夫妻、あーちゃん、いーちゃん、うーちゃんなのである。こちらを見て座っている。うっとりとながめていたら、突如、一羽、一羽、それはきれいにカーブを描いて、わたしの前をゆったりと飛んだのである! こころの中でワルツが流れる。うつくしく5羽が、わたしの前で旋回する。何度も何度も舞うのである。わたしはありったけの感謝の気持ちをテレパシーでからだじゅうから送った。5羽と交流があった。つばめたちと一体となって恍惚とした気持ちが全身を襲った。
2015年8月7日
わたしの両親はふたりとも岐阜出身で、ちいさいころから全国各地どこへ転勤をしたとて、家の中では堂々と岐阜弁がうち響いていた。そのせいでわたしも、外では広島弁なのに、家の中では岐阜弁(正式にはわたしが話しているのは美濃弁らしい)を話すような、言語に関してはなかなか器用な子どもでした◎わたしは岐阜で育っていない。この春美濃に帰郷し、春にひとりで、岐阜の街を何回かにわけてぶらぶら歩いた。日本生まれだが日本で育ったことのない日系ブラジル人2世なる人物が日本に戻って暮らしはじめた、のを、8倍くらいに薄めると今のわたしになるのか。右も左もわからない街に暮らすことじたい、25年ぶりのことで、ただただふしぎな感じがする。血は岐阜なのに、わたしは岐阜を知らない。人と人との距離感、話す内容の密度、長さ、何をたいせつに生きるか、暮らすか、喫茶店の文化、出汁の香り、色濃く残る家父長制度、湿度、水、空気、なにもかもがあたらしい。都度かいまみる岐阜の香りに目を見開き続けている。すべてがおとなしく、しかし激しくもある。地味なようだが派手でもある。目立たぬようで鋭くもある。きまじめな風情なのに笑いもある◎長良橋をひとり渡れば、亡くなったばかりの母の思い出と対峙することとなり、目に涙をいっぱい溜めて、一歩一歩の歩みの震動が、頬に涙をこぼれさせる。母のいない岐阜で、まったくあたらしい岐阜と岐阜で生きた母に思いを馳せている。「しらない」からはじまる岐阜をわたしは今、からだいっぱい味わっている。
2015年6月22日
自分の母のことを美人だとどうどうというのもどうかと思うが、若いころの母は確かにきれいだった。子どもから見ると母というものは美しく見えるものなのかもしれないけれど、母は、どこか野に咲く花のようなはなやかさがあり、面倒見がいい人で、とにかくよくもてた。女からも男からも老人からも子どもからも。よく笑い、よく聞き、よくしゃべり、子どものわたしでさえ、一緒に話していて、とにかくたのしい人だった。通夜の日、近所のわたるくん(小学生)と妹さんが来て、わたるくんは、天井を見上げて大泣きした。天井を突き破り天にも届く泣き声を母はどう聞いたか。告別式には、地元の岐阜はもちろん、名古屋から、神戸から、大阪から、広島から、たくさんの母の友人が集まった。母の思いが宿ったのか、母の友人たちを見るたびにただただ感謝の涙がこぼれた。69歳に亡くなるというのは、早いネ、という人もたくさんいたけれど、母としては大往生だったんじゃないかしら。肝臓がんがわかって10年。母は本当に身を粉にして病を超えていった。骨と皮だけになり、もう食事も喉を通らないような状態なのに、「(わたし)、ホネカワ……スジ……エ…モン」と謎の冗談をいったり、来る人来る人に、「ありがとう、たのしかった。天国から見守るネ」などと気丈に伝える姿はたのもしかった。最後の10日間は、肉体があってしかしもうないような、魂だけのような存在で、尊い空気が病室を満たしていた。その空気の中にいるのが不思議に心地よかった。祝福だけがあった。母を支えてくださった方々、お世話になった方々に、どれだけ感謝をしてもことばは足りない。母のこと、たいせつにしていただいて、本当に、本当に、ありがとうございました。肉体から離れる前、その瞬間、その後、どういう経験をしたか、いつか母にインタビューしてみたいと本気で思っているところです。きっと、母は、おもしろく答えてくれると思う。
2015年5月29日
ふだんは決して見ないニュースをたまにかいま見れば、「えー、懲りなさすぎー」「地球の5回目だか6回目をやるつもり!?」とつい思ってしまう。そんなおり、福太郎さんが昨日、ある、すばらしい光をはなつ女性のお手伝いをさせていただいた。その女性がいうには、「愛の波動になっている人の数が圧倒的に増えている。核、戦争、原発、そういったものに関わっている人たちもいつかは疲れる。疲れたら愛がほしくなるでしょう? 愛の場があれば、疲れたその人たちもきっとその場で休むことができる」ですって(福太郎さんの要約をわたしがさらに要約したのでディテールがちがったらごめんなさい)◎賢い人たちはみんなだまっている。でも、この沈黙は確かに、ちからづよく愛の方向に向かっていて、ほうぼうで愛の場をつくりつつある。腹の立つ相手も、悲しくなるような事象だって、最終的にはほんとうの愛の場に溶け入っていく。誰かに腹を立てたり、何かを説得しようとするエネルギーを、「見たい変化にわたし自身がなる」ためのエネルギーへ。ほんものの革命は、いつだって、誰にも見つからない場、ちいさな息づかいの場で静かにとりおこなわれている。いま、この瞬間、あなたのこころの中でも。Peace of I
2015年5月8日
美濃まつりの花みこしを見たのは、確か小学1年生のころだったから、今年見るのはほとんどはじめてだといっていいと思う。桜色の和紙でつくられた、まるで花がめいいっぱい開花したようなお神輿たち。実際に見てみたら想像よりもはるかに華やかで圧倒的で勢いがあった。お祭りの規模もいい。ちいさすぎず、おおきすぎない。人々の情熱が花みこしにここちよく集約されていて感動した。樽みたいなもので日本酒を水みたいに飲む人たちの姿も圧巻だった。もっとも胸に迫ったのは夜のにわかである。町に響くお囃子の音。23時になっても、人通りがなくなった町をまだねり歩いている。太鼓、笛、男たちのお囃子の声が、電線がひとつもない江戸のような町並みを潤していく。(電線は地中にあるそうだ)。ここはどこだ? 岐阜の美濃だ。のどか、素朴、純粋さという質を、物質化、現実化、顕在化させるとこの町になる。この土地全体の純粋さが、先祖代々、このわたしにも伝えられたことをこころから誇りに思う。春の強い日差しのもと、たっぷりとうつくしいものを堪能した。祭りがけっして暮しと分断されておらず、日々の暮しの延長上にあることも感じられて感動した。祭りは始終、神のまなざしの中、確かに愛のただ中にあった。
2015年4月6日
あたりが猫ではないかもしれないと思ったのは、立花さんが、まだ仔猫の時分に「あらー、大きい手足の猫ちゃんねー」といったことがきっかけだ。わたしもその立派さに、あたりは猫ではなくトラになるかもしれないと本気で感じた。この4月に1歳となるあたりを、先日八ちゃんが見て、「もはや猫ではない、人間である」といった。顔つきが、とても猫ではないという。たしかに目つきが一般的ではない。福太郎さんは、「猫ではない、犬である」という。福太郎さんは、あたりをいつも「いぬねこ」と呼ぶ。あたり、と呼べば、「はい」と答え、ごはんがほしいのかとたずねれば、「イエスアイアム」といったりもする。甘酒を好み、玄米をほおばる。遅刻しそうになれば、肉球でぺしぺしと時間ぴったりにたたき起こし、ガスをつけっぱなしにしてお鍋から吹きこぼれていたりすると、「ガス、ガス、ねえ、ガス」といいにくる。キッチンに立っていて、ふりかえると中学生くらいの男の子になったあたりが「オフクロ、メシ」などといいだしそうになるのを、背中に感じる瞬間すらある。
2015年2月17日
ヴァレンタインデーの翌日、mmaのはじめてのレコーディングを終えた。AYAちゃんがシナロケのTシャツ着てて泣けたし、家に帰って、ひさしぶりにYou May Dream聴いて、本当に泣いた。フェスなんかに行ったらいつだってレモンティーが聴ける、なんの根拠もなく永遠に聴けるような気持ちでいたことに気がついて呆然とした。シーナさんは、フェミニズムとかジェンダーの問題なんかを軽々と凌駕し、でも、女性がこんなにも解放されてたのしくて自由なんだということを、からだごと、あたらしいかたちで教えてくれた人だと思う。パートナーが同じバンドにいて、でもあんなにクールというのもわたしは好き。潜在意識に、あの姿やあの声やあの笑顔がすっかり自分の中に入り込んでいて、自分でもわからないような瞬間に、あの甘い解放が、自分に影響していると思う。そんな女性がたくさんいると思う。録音をしたピースミュージックではサンハウスの話をしたり、ジャケット写真の相談まで中村宗一郎さんにしたり、プチ合宿みたいでなにもかもがたのしすぎた。中村さん、本当に本当にありがとうございました。あたたかくなるころには、いよいよ7インチレコードを発売できそうです。夢、み、た、い!!
2015年1月27日
平和平和となにも力まなくても、世界は大きくみれば、平和に向かっているのであり、そこへの信頼に身を委ねていることのほうが、根本的には平和に貢献するのかもしれない。一見不可解なものごとも、実は、遠くの平和のために起こっているのだと思えば、いつだって、わたしの中にある自然、もっとも神性な部分に、わたし自身を戻すことができる。そうして、その永遠なる純粋な意識のほうに、「わたし」というものを置いてさえいれば、自分の行動そのものも、おのずとうつくしい平和につながることをはじめるのだ。なにがまやかしで、なにがほんとうなのか、なにが幻想で、なにが実相なのかも、おのずときづくことができる。自分で完全にきづくことができる。しかもそこには、判断も批評もない。peace of I わたしの平和って、もう、本当に、なにもかもの、すべてなのかも。