2014年6月25日

ドモンジョ わたしの家族 1

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Takayasu Hattori

仔猫を飼いたいと思いはじめて数か月、いよいよ、紹介してくださる方があらわれたという電話をもらったほんの2時間後、20年に渡って飼っていた猫のドモンジョの肉体を離れる時期がそろそろかもしれないとの連絡が入った。6月に入って、実家に帰る用事があり、数か月ぶりに顔を合わせたが、痩せに痩せ、足元もおぼつかず、足やお腹の皮膚の一部も向けて、顔も荒れただれている。食事もしないし、トイレも失敗する。誰の目にも、いのちがそう長くないことがわかる。それでも、わたしの膝に、なんとか2度のる。座ったドモちゃんの体温も下がり、体重はない。ドモちゃん、と声をかけると、にゃーと小さく何度かないた。

 

 

2014年5月22日

突然ですが、イベントがめじろおしなんです

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突然ですが、◎きたる5/24(土)、東京・日本橋三越本店「日本橋ブックシェアカフェ」で、紙芝居の読みきかせをさせていただくことになりました! ①13時〜 ②15時半〜 の全2回(各20分程度)です。お子さまをおもちのマーマーママ&マーマーパパ(こうやって書くと、バーバパパみたいですね)ぜひ、あそびにいらしてくださいね☆日本橋三越って、古きよきデパートって感じで大好きです! たのしみ! 続けて……◎5/30(金)19時〜『マーマーマガジン』で表紙の絵を描いていただいているタムくんことウィスット・ポンニミットさんと『詩と絵の生まれるところ』、5/31(土)11時30分〜『古くてあたらしい未来の暮らし』、14時30分〜『タムくんのタイではこう考える×出張みれいの部屋』(いずれも@東京・青山子どもの城)を開催します! 金曜夜が、ものづくりのひみつ、土曜日午前中が、未来や超自然的な話、午後が、お悩み相談、という盛りだくさんの2日間です! 今からタム君に会えるのがたのしみ。なんか、もう、お話していると胸がいっぱいになってしまうんですよね。肯定のパワーがすごくて、もう! ぜひあそびにいらしてください。さらに……◎6/6(金)、東京・原宿VACANTにて、予定されていた「murmur magazine スペシャルトーク&ライブ アリシア・ベイ=ローレルさんとマーマーな夕べ」は、アリシアさんが怪我のため帰国なさることとなり、中止となりました。とても残念ですが、アリシアさんの1日も早い快復をおいのりしています。アリシアさん、またお会いできること、歌声が聴けること、こころからたのしみにしています! mmaも、またライブができたらと思っています☆どうぞおたのしみに☆

2014年5月15日

死者は蘇る

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人間の本質は肉体ではなく霊魂である、ということばを聴いたって、たいていの場合はたいして耳にも入らず、素通りする程度だし、反応するにしたって「えー、服部さん、またオカルトですか」みたいなことだったりして、一向に、からだの奥の深いところに落ちていくなんてことはないのだけれど、でも、あるとき突然腑に落ちる瞬間というのがくる。「肉体を離れた人」は、確実に生きている。(幽霊とかそういう話ではない。そういうのにはぜんぜん興味がない)。昔でいえば、枕元に立つ、という表現かもしれないし、なんらかのメッセージがあるということもあるし、その「ことば」が、その、肉体を離れた人ではないと発せないことばだったりするときに、それ(冒頭のことば)を実感するのだ。つい最近もあった。肉体が亡くなることは死ではない。肉体が亡くなっただけのことだ。魂は生きている。今日も生き続けている。肉体の眼をもってして見えないだけで、あちらからはわたしたちが見えている。そうして、しかるべきタイミングで、わたしたちに声をかけてくれている。こちらも声をかければ、かならず、魂はかたわらにいる。

2014年4月17日

森栄喜さんのこと

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森栄喜さんにはじめて会ったのは、谷川俊太郎さんとの朗読の会のときで、去年の3月のことだ。打ち上げでは、パートナーの彼ともお会いして、本当におふたりは、それはかわいい、なにか特別なカップルで、とても感心してしまったのをよく覚えている。同性挙式をした東小雪さん、増原裕子さんがたといい、同性愛の世界のあたらしい風が、わたしたちにも吹いていて、その風は、強すぎず、ヨワヨワでもなく、とてもここちよくて、珠のような勇気に満ちている。やわらかな光を放っている。今日は、森栄喜さんが、約1年かけて彼を撮影した『intimacy』(ナナロク社)木村伊兵衛賞、授賞式の日。栄喜さん、村井光男さんはじめナナロク社のみなさん、本当に、おめでとうございます。担当の坂下実千子さんなんて、自分の婚期が5年遅れてもいいから、受賞させてほしいとお祈りしていたのだとか(坂下さん、受賞もしてでも同時に婚期ものがさないと思う!)。なにか、もう、自分のことのように、うれしいです。ぜんぜん関係ないけど、栄喜さんって、お着物めちゃめちゃ似合いそう!(いわれないですか?)

 

 

2014年4月2日

マガジンとジンのあいだで何かをいう

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「お願い聞いて、マザー・ファッカーズ。私は、アメリカじゅうにいる何百人ものファンジン・ライター男子たちと違って、耳を傾けてもらうことを正真正銘必要とし、必死に望んでいる。私がジンを作っているのは、人を楽しませるためでも、気晴らしのためでも、誰かを締め出すためでも、ほかにもっと上手にできることがないからでもなく、もしわたしがこういうことを書かないでいたら、ほかの誰も書きはしないだろうからだ。トビ・ヴェイル『ジグソー3号』」『ガール・ジン 「フェミニズムする」少女たちの参加型メディア』(アリスン・ピープマイヤー=著 野中モモ=訳 太田出版=刊)より抜粋

ここのところ(ていうか創刊以来ずっとか!)、マーマーマガジンについてあらためて考えていて、わたしの場合は人を楽しませるという要素も入ってはいるけれど、おおむね、トビ・ヴェイルさんのいっていることと同じ気持ちで、かつ、マガジンとジンのあいだで何かいう、ということを一層たのしんでいるし、この場が本当に自分には合っていて、その意味をあらためて捉え直すのに、21号(4/17発売予定)の制作はとびきり役立った。そうそう、このブログの写真に占める割合が大きすぎて(希望したわけではないけれど、このデザインがとーっても気に入っていて、かたちに自分を合わせるのもいいと思った)、ホンマタカシさんの写真教室に通ったほうがいいと思う、と、以前にこのブログで書いたのだけれど、本当に、この春から「第7期 たのしい写真教室」の生徒とあいなりました。写真を撮ることにコミットしたことがないわたしが写真の教室に通うことにした理由は、1、このブログの写真のため。2、わたしのことばのため。3、自分がありきたりな自分になることに辟易するから。あたらしくなりつづけることにしかこたえはなく、あたらしくなるということは、幻想から目覚めて現実に生きるということにほかならないですね。たくさんの人が本当の意味で本心にしたがってしあわせのために生きたなら、自然破壊だって止めることができるのかもしれません。いつだって文通の延長上の感覚で。peace of I

2014年3月6日

ともだちのこと

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ともだちというのに、ちょっと照れくさい、そんな 「ともだち」が、わたしには何人かいる。そのともだちをともだちと素直に呼ぶのがはずかしいのは、会った回数とか話した長さ、なんかじゃなくて、とてもつうじあっていることがお互いにわかっていて、ともだちとかそうじゃないとか以上に、そもそも名前をつけがたい関係だからだとおもう。いちばんちかいのは、家族ということばだけれど、それはそれで親密すぎる。でも、わたしにとってのともだちというのは、そんなふうに、距離も時間も超えて、たましいでつながる深い家族のような存在で、そういう相手は、そうたくさんはいないのもしかたがないとおもっている。そのともだちのひとりでmmaの相方、AYAちゃんが、子どものブランドをはじめました。ま、AYAちゃんに関しては、「彼女」(今風に読んでネ、「カ」じゃなくて「ジョ」にアクセントがくる感じで)っていうのがいちばん近いのかな? お互い、夫がいますけれどもね(てへ)。写真は、松岡一哲くん。一昨年のわたしたち。なつかしい! 一哲くんも、今展覧会開催中です。松岡一哲写真展(3/15まで@ダイトカイ)

2014年2月9日

香水のはなし

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わたしの母は、子どもだからそう思っていただけかもしれないけれど、わかいころ、とてもきれいだったと思う。高価なわけではないが、自分にとても似合う服を着て、自分にとても似合うアクセサリーを身につけていた。しかし、うろ覚えだけれど、あまりお化粧はしっかりしていなかった気がする。スキンケアもいいかげん。マニキュアをしたことは数えるほどしかなく(たぶん)、小学生のころだったか、突然マニキュアをした母を見て、大泣きしたこともある。まあ、そんな、そっけないというか、「ふつう」というか、飾り気のない母が、唯一いつもつけていたのが香水で、わたしも子どものころ、よく頭から香水をわりにたっぷりとふりかけられて(!)幼稚園などに行ったものである。そういうわけでわたしは今でも香水だけは好き。今日はひさしぶりに少し散歩して、外苑前のほうを通ったのととてもあたらしい気分だったこともあり、サンタ・マリア・ノヴェッラに立ちより、香水を新調することにした。選んだ香りは「エヴァ」。家に帰ってよく調べてみたら、タバコ、ベティベール、ブラックペッパー、ナツメグ、シダーウッド、ベルガモット、レモン、という組み合わせですと! 独特なさわやかさを感じて選んだのだけれど、タバコが含まれていたなんて。なお、先日読者のかたから、今つけている香りはなにですかと聞かれて、サンタ・マリア・ノヴェッラの「すずらん」とこたえてしまいましたが、「すいかずら」のまちがいでした。ごめんなさい。そういえば、母の父(つまりわたしの祖父)も、年齢を重ねてからも、淡く、香水をつけていたと聞いたことがある。香水好きの歴史は、こうして、わりにしっかりと続いていくものなのですね。

2014年2月3日

たのしい時間

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1月31日に旧暦のお正月を迎えて(新月でしたネ)、とくにその2〜3日前そしてその後と、これからの未来につづくような時間を、あちこちの場所で過ごした。大人のかたにもずいぶんお会いした。大人の時間は、それぞれ、詩、音楽、写真の世界とともにあった。詩と音楽と写真は、同じ次元を共有していると思う。3次元ではないどこか。わたしの中にあって、でも宇宙とつながっているエネルギーの場所。いいとかわるいとか、そういったことからすっかり解放された草っぱら。その場に触れて、わたしは心底自由な気分になった。わたしたちは、なぜ、生きるのでしょうね? わたしは、だんだんと、自由になることのために、自由な宇宙の子として生まれ落ちてきたように思いはじめている。宇宙人たち(!)と会って、ただ、そこに在る、というふうに在る、ということに思いを馳せている。人が死ぬのは、ただただ寿命で(いかなる死でさえも)、最近思っていたことは、絵本『かないくん』にはっきりと書いてあった。おわりははじまりで、はじまりはいつだっておわりなのだ。2014年はセンチメンタルな気持ち、というようなものから解放されるような、そういう時を人類が迎えるような気がしてみたりしている(おおげさ?)。それくらい、時の流れがはやく、すべてが同時の魔法を、味わうスタンバイが完成しつつある気がする。

2014年1月11日

すこしの毒

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ここのところ、つまりは年末年始、何をずっと考えていたかというと、「すこしの毒」ということであって、それは、冷えとり健康法の考えかたによるものである。「からだによいもの(あたためるもの)ばかりを食べると、からだが怠けてしまうため、反対の悪いもの(冷やすもの)を少し(全体の4〜5%)入れるとからだががんばってよい」というものだ。「フード左翼」的にいえば、添加物とか白砂糖とかアルコールとか……主に人工的に加工したものや、あとは動物性脂肪、地面の上に出ている野菜や果物、たばこ・お酒などの嗜好品は、からだを冷やすものであって、「毒」に匹敵するものだけれど、でも、この「すこしの毒」がからだに入ることによって、全体として、からだが鍛えられたりだとか、そのほか想像を超える何か作用がもたらされると思うと、ホントに、善も悪もない、悪や毒にだって、手を合わせたくなる、そんな気持ちになるよ、と思う。ぱっと見て、すぐに「あれはいい」「これは悪い」ってジャッジしがちで、でも、全体の作用として、たとえばですよ、人間関係で、「あの人ホントウザいネ」と思っている人だって、全体としては「すこしの毒」的に作用しているやもしれず、世界全体として何が起こっているのか、何が真実なのかははかりしれないなと思う。写真は去年撮影したうちの畑のまんじゅしゃげ。あまりに赤々としていて、その姿がぞっとするほど強烈で、スナックのどぎついお化粧のママみたい、といったら、父が「煮ても焼いても食えないような」とつけ足した。ひさしぶりに「煮ても焼いても食えないような」ということばを聞いたと思った。

2014年1月10日

最近のわたし

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ぜんぜん書く時間がなかったんです、というとうそになるけれど、書くエネルギーがなくなってしまっていたんです、というのは本当かも。昨年12月に、『マーマーマガジン20号』(これまでで最多ページナリ)、『あたらしい結婚日記』を脱稿してみれば、自分で感じていたよりも、こう、エネルギーを思いっきりつかっていたことがわかって、このブログはしばらくのあいだ、おやすみさせていただいきました(ごめんちゃい)。そのあいだに、掲載していただいたもの、です。

◎ウェブマガジン『greenz.jp』にて、「レイブル期」についておはなしさせていただきました
◎『GINZA』2014 1月号(マガジンハウス)スタンダード特集内「カラダのためのスタンダード」インタビュー
◎秋田県をPRするフリペ『のんびり』07号(2013 Winter)に詩を寄稿させていただきました
◎『誰もが幸せになれるハワイの叡智 ホ・オポノポノ』(宝島社)インタビュー
◎東京新聞、中日新聞 「家族のこと話そう」インタビュー

『あたらしい自分になる手帖2014版』(アスペクト)、『あたらしい結婚日記』(大和書房)(たちまち増刷)も、発売中です。もちろん『マーマーマガジン』20号(エムエム・ブックス)も!(とてもよく売れています)

と、まあ、ぼちぼち元気にやっています。
1/13(月)には、東京・青山某所で、メルマガ「服部みれいの超☆私的通信ッ」会員さま限定の「生☆超(なまちょー)」やります。メルマガ会員さまは、ユースト放送を見ることもできます! ひさびさに! mma(ンマーあらためエムエムエイ)のライブもやりまーす。ほとんど新曲なんだっちゃ! わちゃー! どうぞおたのしみにー。

2013年11月24日

みなさん、おかわりありませんか

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日曜日の夕方、ひとり編集部でふとカレンダーをみあげてみたら、11月24日……。じゅういちがつにじゅうよんにち!!!!!! がたぶるがたぶる。もうすっかり仕事のほうは年末のムードがぶりぶりで、12月と1月が1年のなかでもとくににがて(誕生月ってなにかきつくないですか?)っていうか、にがてっておもったはじから、クリーニングするしかないのですが、時の流れが速すぎて、もう、めがまわりそう。みなさんは、おかわりありませんか? わたしは、どうかな。かわっていくわたしと、かわらないわたしとあるけれど、どうなんだろ。今校了しているマーマーマガジン20号は、ぶりぶりの自然農法(自然農/自然栽培)特集です。あたらしいメンズも登場します。や、や、やばいです。センチメンタリズム、って、それなんやったっけ、って、かろやかに超えて、すいもあまいもごっくん飲み込み、許し、許し、許しのレッスンを重ねていくしかないですね。みたこともないような波、次々きてるで! サーフボードさえもちあわせていないけど、ポニョの気分で、もう、波の上を駆け抜けるしかない、の、かも。陽気が好きです。写真は、富士山山麓。どうでもいいけど、野尻湖湖畔、だったですね。

2013年11月14日

求心力が増しているのは

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高田馬場にある預言カフェへ行ったのはいつのことだったか。「トライアスロンのようにはたらいてきたあなたは、これから仲間を得て、たのしむ季節をむかえます」。そういわれたことがほんとうになったと今夜つくづく思い出した。猛烈に求心力が増しているなんて書いたけれど、それはけっしてわたしのことではなくて、仲間たちのことをさす。「マーマーな☆ダイアリー」を終了したら、「マーマーな編集部日記」「なにか福なこと日記」「冷えとりボーイの冷えとりダイアリー」「マーマーなブックス アンド ソックス日記」と編集部のみんながいっせいにブログをかきはじめた。いろんな草木がいっしょに育って、まるで自然農法の畑みたい◎先日会議で完全な自然の体験=奇跡(必然)が連続する状態について、話をしたら、アルバイトの倉橋孝明くんが、Powers of tenと、探偵!ナイトスクープ/四つ葉のクローバーの声が聞こえる少女!? の画像を送ってくれた。昨夜会ったUR中馬さんは、過去現在未来は同時だと、子どものころから思っていたといい、今日会ったアイリーンさんは、過去のできごともクリーニングできると、教えてくださった。えー、なんというギフト! やってみるしか手はないね。昨日はパトリック・ツァイさんに写真を撮影していただいた(12月売りのGINZAスタンダード特集で登場予定です)。ついさきほどは、詩を2篇入稿した。池田修三さんの絵に詩をつけるおしごと。こころがえんぜるになるおしごとばかり。毎日がはげしく夏休み、みたいです。写真は長野県野尻湖畔の森。

2013年11月7日

どうにもこうにも

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わたしの知人に「外食をしているときに携帯で写真をとる人を法律で罰してほしい」とせつに願っている人物がいるのだが、この写真くらいならゆるされるだろうか。いや、この「ことば」(ブログ)だって、あいかわらず、写真問題というのがあって(はい、カメラは新調しましたです)わたしなんて「ブログに空の写真をのっけるのはいかがなものか」と思っていたけれど、どうです、負けに負けている。いや、まじで、ホンマタカシ写真学校(こんなタイトルじゃなかったですね、青山ブックセンターでやっているやつ)に通ったほうがいいと思う。ま、でも、まずは、自分で工夫をしてみます◎年末に向かっているからなのか、猛烈に求心力が増しているからなのか、どうにもこうにも、ものすごい量の取材依頼、執筆の催促、その他各種依頼がやってきていて、お返事もままならなくなってきています。メールに返信できないかたがた、本当にごめんなさい。いったい全体……。アッセンブリッジポイントの移動と関係があるのだろうか?◎先日久々IH(インテグレイテッドヒーリング/上級キネシオロジー)を受けて、その体験について、少しだけ、メルマガ(今週配信の)に書いた。自分の想像を超える治癒、自分の知っている範疇を超える現実って、けっこう簡単にやってくるものなのかも。全部、自分で決めているだけで、本当は軽々超えられる、のかな。「思い」のちからはすごいですね。写真は夏の思い出。ああ、もう3世紀前くらいみたいだ! 

2013年10月31日

秋なんです

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自分の声を、過去や未来の自分に飛ばしてそれが届くかどうかは実験してみないとわからないが、少なくとも17歳のわたしは、その前後数年間に比べて、かなり「だいじょうぶ」だったのは確かだ。いろいろあるけどわしは元気です(要約?意訳?広島弁?)みたいな感じ。するってえと? あの声は届いていたのかもしれない、ネ。それにしても、時の流れがはやくなっているとはいえ、なになの、このはやさは! そのうちスピードというものも感じないくらいはやくなっているかもしれない! 数年前なら「えー」っていうことだって、あっという間に受け容れているかもしれない。一方で、まったく時間が動いていない世界もあるかもしれない。一方はものすごいはやさで、一方はまったく動いていないの。パラレルワールド。マーマーマガジン20号の農業特集後編、ようやく編集に戻りました。この号は、さらにやばいです。いやらしい東京日記(仮)も、編集が進行中。何でもかんでもつきつめていくと、芸術、なんですね。本を編むということに内在する、ある種の次元越え、みたいなものも体験していて、なんだか身ぶるいしている秋なんです。

2013年10月25日

名古屋で17歳の自分に声をかけてみた

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(つづき)甘い感じに守られている感覚というのは、こう、けっして田舎だということではない、都会なのだけれど、名古屋特有の、人と人との距離感があって、それが、こう、重なっている度合いが独特というか、ある意味、家っぽいというか、悪い意味ではなくてべたっとしている部分がまちがいなくあって、それに、意識的か無意識的かに関わらず、おそらく、その部分に、名古屋の人は思っているよりも、守られているのではないか? ということだ(何書いてんだかわけわかんないですね、すみません)。トークショウの前日、少しだけ時間があったので、思春期のころ過ごした実家の近くまで行った。駅から中学校への道のり、喫茶店、酒屋さん、高見ストア、急な坂、坂を振り返ればテレビ塔、見慣れた大邸宅たちを、興味深く、見た。坂道だらけの実家のあった場所には、見慣れないマンションが立っていた。突然、わたしは幾度となく行き来した坂道を振り返って、17歳の自分に、「だいじょうぶだよ」といってみた。その声が、17歳のころの自分にしっかり届くように、短い時間だったが相当集中して声を届けた。その声があったから、今、わたしはこうして生きているのか、名古屋の人々が編み続けているそこはかとなく甘い部分が守ってくれたのかは、わからない。坂道では、もう亡くなってしまった中学時代の同級生の秀才I君と、池下の交差点で一度だけすれ違ったことのある高校時代の同級生M君のことを思い出していた。M君は、大学に入ってからバイク事故で亡くなったと人づてに聞いた。I君は、「服部は、もう、なんとかやっていけそうだな」といった。M君は、高校生のころのように、少しだけ笑ったまま、だまっていた。時間は同時、の扉が、名古屋の夕暮れの坂道では、ほんの少し、開いていたようだった。