2018年4月7日

松岡一哲くん、写真集マリイ

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©Ittetsu Matsuoka

友だちが少し前にZAZEN BOYS をYou Tubeで見はじめたら止まらなくなってしまったという話を聞いて、「えー、それもう、何年か前に終わったブームだわ」と思っていたら、この春突然、同じ病気にかかってしまった。早この2日間、えんえん、ZAZENをYou Tubeで見続けている。COLD BEATとか。冷凍都市のど真ん中の、ね●500ページを超える写真集『マリイ』のリリースがいよいよ目前に迫り、胸の高まりを抑えられないのか。写真集『マリイ』について、松岡一哲くんという写真家について、語りたいことは山のようにあるのだけれど、なかなか語れない自分がいる。安易に語りたくなんかないとも思う。本当に優れた写真には、何をいってもことばなど陳腐なのだと今回ほとほと思い知らされたからだ。ことばなどで語れないものがあるから、写真家は写真を撮影するのでしょう? だとしたらことばで何かいう必要などあるのだろうか? ●若いころある一部の音楽誌を除いて音楽について書かれたものを読むのがつらかった。音楽が言語化するとは、ほとんどの場合が無駄なことだと感じる。ライターの過剰な自我と承認欲求で溢れた原稿をどう読めばよいのか。ライナーノーツも好きじゃなかったし。音楽は聴けばいいだけのことだし、写真も観ればいいだけのことだって思う。ことばにならないから、音楽は存在し、写真というものが在るのでしょう。一哲くんの写真が、今回、もう、いやというほど、そのことをわたしに突きつけた。500ページ、何度観てもページをめくる手を止めることができない。佐々木暁さんが信じられない精度で一哲くんを、マリイを、編んだ。見開きごとの完成度はただならぬことになっている。一哲と暁と、そしてこの二人をこんなにしてしまうマリイって、もう、いったい、なんなんだよ! 写真集のオファー時に暁さんが地下深い暗闇で泣き、初校ではわたしが都立大学で号泣した。昨年六本木のタカ・イシイギャラリーでルイジ・ギッリを観たら、まったくもって、一哲くんはこの系譜にある芸術を、いや、これ以上の芸術をつくってるんじゃんと頰が紅潮した。わたしは、この数年間、写真という芸術と対峙した。とんでもない写真集ができてしまった。