2017年9月2日

バッハを弾き終えて

R0061164

バッハのフランス組曲アルモンドについて、このように述べようと思っていた。人生の序章、これから始まると言わんばかりの高揚感。小川のような流れのある調べ。すべてこの美濃での生活を象徴するかのようである。それでいて、1曲の中に、いきようようとしたやる気、期待、ちょっとしたつまづき、やり直し、仕切り直し、問題の発生、困難、挑戦、挑戦、忍耐、忍耐からの夜明け、一旦来る許し、変容、変容から、いきなり天使の世界へ。目に見えない世界は、この目に見える世界の大元で物質界はただ単に生き写しに過ぎない。天空で何が起こっているか。そこにもドラマがあって、かつそこには許ししかないという事実、許し、許し、最後においては許しだけになるという、まさに人生と、死んでからの人生みたいなものがたった短い1曲に詰まっている。弾き方は、まるでできないけれど、グレン・グールドみたいにはやく(本当はスタッカートだらけで弾いてみたかった!)弾いたほうがノれることが本番前々日にわかって挑戦だっだけれど、できる限り早く弾いた。そもそもピアノを習い直そうと決めたのは、岐阜でN響の演奏&チャイコフスキーのピアノコンチェルトを聴いたことがきっかけだった。あの時わたしは、死んだばかりの母とはっきり対話をした。具体的な助言まで降りてきた。音楽というのは、天につながる通路をいとも簡単につくるのだと驚愕した。今回発表会でバッハを弾いたら、やはり、母を思い出した人が会場におり、少しは成功したといえるのだろうか。なお、先生と連弾したエリック・サティのピカデリーは、焼肉屋さんでじゅうじゅう何かを焼いているかのような、もうもう煙が立つような演奏だった。会場となった夕暮れの美濃保育園も最高だった。わたしにピアノがあってよかったです。