2020年12月8日
誕生日をむかえて
50歳になってみたら、なんということはない、想像以上の清々しさと、自由な気持ちと、静かな意欲と、「どれにしようかな」などとメニュー表を眺めるあの時間のような色のない気分がやってきた。想像していたよりも、若いのである。気分も肉体も若い。そして新鮮な気分なのです。人によっては孫がいるなんてかたもいるのだろうが、うちにいるちいさいひとたちといえば、猫と犬と、近所にはその犬がうんだ犬なのであって、仕事も25年間本ばかりつくっているのであり、変化がない。大学生の文化祭を大人になってもやっているようなところがどこかある。とうぜん、ある部分が若いままになるのかもしれない。もともとからだがむちゃんこ弱いせいで、あれこれ健康法を続けることとなり、結果、この歳になっていちばん健康状態もよい。82歳になる父に、「わたしが生まれたとき、この娘が50歳になるなんて思った?」と聞いたら、思わなかったという。まあ、そうですよね。父はわたしが生まれた直後に母に「ありがとう」とだけちいさくいったと亡き母から聞いたが、今年もその両親初の娘が生まれた地(岐阜市金宝町1丁目)の目と鼻の先で、みずから誕生日会を催した(近年誕生日は、祝ってもらうというより、身近な人に感謝する日に変えた)。その日も特別に、お給仕係をさせていただき、1770年から続く老舗ワイナリーのビオのワインを注いだり、熱々の菊芋のポタージュだったり、白子のパイをテーブルに運んだりした。シェフは少し前に大怪我をされていたが、そのせいなのか、味が変容し進化していた。繊細に、軽くなり、いうなればアセンションしていた。本当に驚いた。その店とも誕生日が近いのも奇遇なことだと思う。翌日は、9歳になったばかりの友人が、(わたしには9歳から87歳の友人までがいるのです)わたしに誕生日の食事をつくってくれるという。人参のポタージュスープからはじまってオーブン料理、オレンジのゼリーまで続いた。なんという僥倖。子どもがつくる料理というのは、本当に特別な味がすると思う。淡くて、少し天上の味がする。天国で食べるみたいな味。羽がはえたような味といったらいいでしょうか。12月のぽかぽか陽気のなか、うとうとと眠くなってしまった。そのまま、子どもらに見守られて幸福のなか、死んでしまうんじゃないかと思った。自宅にはたくさんの花が飾られていて、特別な気持ちがする。ある意味ではそれまでの自分が死んだのだとも思う。葬いの花とさえとれる。どうしても、何か、あたらしいことをはじめなければならないような気持ちにもなっている。