2020年10月19日

日曜日の午後4時

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日曜日の夕方、特に4時あたりってほかにはない時間帯だと思う。たとえばこの時間に電話で話せる相手、あるいは話したいと思う相手は、とくべつな相手という気がする。ちからが完全に抜けてしまっている時間。あいまいで、ぼんやりしていて、無意識が表面に出てしまうような。最大限にリラックスしているときといってもいい。だからといってここちいいわけでもない。少しへんな時間。安逸を貪るための時間といったらいいか。そうそう、プリミ恥部さんの「感謝」というエッセイの冒頭の一文、「曇り空、最近好きだ」というような気持ちといってもいい。まさに昨日はその時間(もちろん日曜日だ)に、プリミさんとトークライブがあって、公で、その(わたしにとっての)無意識の時間を共有することになったのもおもしろいと思ったのだけれど、まさに美濃は、この「感謝」のエッセイの冒頭みたいな曇り空で、突然寒くなっていて、つい数日前までTシャツだったのに、セーターを引っ張り出して着るような気温になっていた。沖縄にいるプリミさんのほうはといえば、こんがり日焼けして、今まで見たことがないような陽気さで画面の向こう側にいた。あかるい陽の中でmoriiyukoさんのオーナメントとともに、揺れて、さらなる脱力のなかで、あたらしい歌を歌っていた。プリミさんが、歌に出てくるピンクビーチを堪能する頃、わたしは、小屋にある薪ストーブの火を凝視していた。火はいくら見ていても見飽きない。薪が火とじゅうぶんに一体化して最高の状態になった瞬間を見るのが好き。薪にも春夏秋冬があり、薪じたいがとても極まる時間がある。そのとき、火そのものとなった薪をトングで叩くと、ぱあっと割れて銀河のようになる。星々が散り散りになる。こちらもついまぶしい気持ちになる。海岸のピンク色も、薪の火のほのおの朱色も、どこかでつながっていて、同じ暖色ならではの愛を享受しているかもしれない。ふと、日曜日の午後4時に電話で話していた、あのまどろんだ時間のことを思い出す。あの時間に話していたあの人たちは、今どこで何をしているんだろうか。でもどんな想像も、もう、こころに思い浮かばなくなってしまっていて、自分が、以前とはすっかり違う、あたらしい場所にきてしまっていることを知り愕然とした気持ちになったりもする。