2021年9月19日

秋のたより

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ひがんばながギャルだとわかったのは、
一昨日のことでした。
車窓から見えるひがんばなのいち郡に
ふと耳を凝らしてみたならば
「きゃっきゃ」「きゃっきゃ」
いっていたわけです。
ひがんばなとは、
こってりメイクのスナックのママ的おんな、を想像していたのだが。
花の世界は、時間が逆になってるのかもしれないなどと想像を豊かにしながら
秋の道を歩くのはここちの良いものです。
夏に、結果を動機としないという考えを聞いて
自分がホントに原因となれるか観察を続けています。
嘘をつかないのが好き。
護岸工事されていない川が好き。
(でもやってるやってる!とはいう。ど根性で)
秋の空では虹の響きと暗雲の響きが拮抗し
みごとに同居しています。

2021年5月24日

自分のなかに眠るしんとしたところを24時間発動させる

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先日、しあわせとはなにかという質問を無有無さんからしていただいて、こう、エネルギーが高い体験みたいなことだ、というふうにお答えした(*)。エネルギーが高いといっても、なにか崇高な体験とかそういうことではなくて、なんだろな、こう、ぎゅっとした時間というか、純粋性が高い時間というか、なんだかここちよいインパクトのある時間みたいなのってありますよね。ジューシーな時間というか(ますますわからないか)。わたしの場合は、岐阜の高鷲というところの郷土料理を、あるご家庭のおかあさんにつくっていただいて、ぱくぱくと食べて、いろんなはなしでもりあがりにもりあがって、最後は大爆笑だけみたいな、そんな時間をしあわせだと感じるというふうにお話しした。もちろんその気持ちはかわらないのだけれども、もうひとつあの質問をされたときに、じつは思い浮かんでいたことがあって、それは朝、山にむかって瞑想をする時間にもっとも高い幸福を感じるということなんです。あの、ひとり、山の空気を全身で感じながら瞑想をするときっていうのは、実際のところ、いちばんしあわせな時間なんじゃないか。そして、今、あの瞑想のときに体感する、自分のなかにある「しん」とした部分が、全方位的に、あらゆる場面で、ものごとを、人を、ときにこじれたなにかを解放していくヒントになるんじゃないかと思っている。「そこ」がいよいよ発揮される時がきたのである。発動しないとならない状況なのかもとも。いよいよ24時間瞑想状態、時空が変わるときがやってきている。

2021年2月1日

黒豆と田つくりとあれこれ

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この冬は、もう、お正月におせちをつくるつもりもなかったのだけれど、2020年も年末が近づくにつれて、なんというか、何もつくらないというのも少しつまらないような気持ちになった。いよいよ「風の時代」っていうのがはじまったということだし、ここは時勢に乗じて、どうしても食べたいものだけをつくることにする。直感にしたがってつくることになったのは、黒豆と田つくり。あと、紅白なます、ニシンの昆布巻き。なんて考えていたら、どうしてもお煮しめもつくりたくなる。かまぼこは、なんと小田原の友人から年末ぴったりにぷりぷりのが届いて感激した。いや、もう、これだけあれば、立派なおせち、である。黒豆は、30日の夜中に、煮汁を沸騰させてそこに黒豆をどばっと入れて漬け込み、朝から5時間ほど炊いた。お水を足したのは1回きり。これがびっくりするほどうまくいった。固さ、甘さ、ツヤ、自分にしては120点であった。今回のつくりかたを今後も踏襲しよう。田つくりは、恥ずかしながら生まれて初めてつくったのだが、これまたむちゃんこ上手にできた。噛むとジュワッとジューシーで、ゴマの香りが鼻に残る。紅白なますの甘みには、一昨年冷凍したてづくりの干し柿を使った(今年実家の渋柿は1つも採れなかった!)。お煮しめは、炊いている時、本当に最高の気持ちになる。あの豊かすぎるかおり! お煮しめのレメディとかつくらなくていいですかね(つくらなくていいか)。ニシンの昆布巻きは、みがきニシンを戻すという作業に、気持ちのほとんどを使った感じ。しかも、どこが「戻った」ゴールなのかいまいちわからなかった。準備が遅くて、結局昆布巻きにして煮たのは1月4日だったかな。これもお煮しめ同様、自作ならではの淡いお味でたいへん満足した。そういえば、年末に、「自分は何が好きかって、かぶら寿司が、食べ物の中でもっとも好きかもしれない」と嘯いていたら、なんとその2日後に、偶然にも石川県の友人からかぶら寿司が届いてこれまた驚いた。お正月は、カナダのりんごのお菓子(アップルクリスプ)をつくったりして、結局台所にしょっちゅう立ってたのしかったな。三國清三シェフの半生をYouTube()で聴くことができたのもよかった。ニシンの生まれ変わりと呼ばれた男。料理人の一代記を読んだり聴くのがほんとうに好きだ。12月1月、特にお正月苦手病も、料理のおかげで、地の時代に置いていけたような気がする。

2020年12月28日

詩|革命について

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ほんとうの革命には

旗振り役はいない

しずかに そっと そしらぬまに はじまって

そして

おわってる

ほんとうの革命では

血はながれない

循環する血と氣

円となって

やくどうするいのちが

ほんらいを選別する

宇宙がうごく

わたしがうごく

わたしのおおもとがうごく

わたしの原始がうごいて

その音で

宇宙はめざめる

時は風の時代

2020年12月14日

人は何によって生きるのか

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約10年ぶりに『ミツバチの羽音と地球の回転』(監督:鎌仲ひとみ)を観た。記憶違いでなければ、2011年の東日本大震災の直後にこの映画を東京で観ている。映画は、山口県上関町田ノ浦に建設予定の原発に反対する、田ノ浦の対岸に住む祝島の人々を追う。祝島のおばちゃんや漁師たちは、もう28年も原発に反対している(2010年時点で28年なのだから、もう38年になっている)。福島でのあのような事故を経て、なお、「直せないものはつくりません」とならないのは、「直せないものをつくったら、地球や人間がどういうことになるのか」という想像力さえもつことがかなわず、「金だけ、今だけ、自分だけ」という恥ずかしい人間が大多数ということだろうが、それも人間の性(さが)なのか。人類のカルマか。

前回見たときは、反対派の通帳に、突然5億4千万円ものお金が勝手に振り込まれたり、に、衝撃を受けたが、今回は、特に、豊かな海と自然を残したいという、漁師さんや漁(第一次産業)に関わるおばちゃんたちと、電力会社の人たちが、海上で、海を隔てて意見を言い合う場面が印象に残った。漁師やおばちゃんたちの「ことば」は、誰が聞いても本気で本心で実がある「ことば」だ。それに対して、電力会社の人たちの「ことば」は、のけぞるほどに、うわっつらで表面的で空虚に、わたしの耳には聞こえた。正直、ロボットみたいに見えた。生きた人間と、操られ人形が話しているみたい。この対比がただただすごい。カメラはそのままをうつしていた。漁師やおばちゃんたちは、第一次産業でやっていこうといっている。海を守ろうといっている(世界的にも類をみない生物多様性のホットスポットでもある)。自然エネルギーでやっていこうといっている。一方、電力会社側は、もう島は第一産業では経済力がもたない、自分たちを守るために(つまりは経済のために)原発が必要だと説く。「海は絶対に壊れない」という。「絶対に」……???(映画は森林の伐採がはじまった時点で、すでに海の生態系が変わってきたことも、真摯に伝えている)。両者のいちばんのシンプルな違いは、漁師や海にかかわるおばちゃんたちは、この反対運動を手弁当で行っている。誰からもお金をもらわず行っている。それに対して、電力会社の人はサラリーマンであるという点だと思った。漁師やおばちゃんたちは、お金をもらわなくても反対運動をしている。電力会社の人は、お金をもらわなくても、建設しようとするのだろうか? 果たして?
映画では、さらにスウェーデンで、脱石油、脱原発で、完全にエネルギーの自給に成功した町を取り上げる。循環型でサステナブルなエネルギーで、充分、暮らしはまかなえるのだ。「第3の解答」は、世界中にあまた表出している。しかもスウェーデンのその町の政治は、ボランティアで行われているというのが印象的だった。また「ひとりひとりが責任をもつ」ということに尽きると、その改革に携わった人がいっていたのも、こころに刻まれた。
わたしは、海の上で、マイクでやりとりをする、漁師さんおばちゃんらと、電力会社の人たちを見て、ほんとうに、世界中のあちこちでこんなふうに二項対立をさせられて、それぞれの「正しい」によって翻弄されている人間の姿をしみじみ思った。島は、反対派と賛成派で今も分断され、家族のなかでも仲違いがあるという。これって、誰かの悪巧みなの?

人は何で生きるのか? このような二項対立を生んでいるのは、都市化がすすむほどに人を滅ぼしていく都市のシステムと、それを支える自分たちだろうと思う。万が一、誰かにあやつられて、洗脳されてこうなっていたのだとしても、この行為を実際にしているのは自分たちだ。わたしたちは渡ろうとしている橋を壊しながら渡っている。ジョージ・オーウェルの『動物農場』を読了したばかりだということもあるけれど、なにせ、上のいうことをただ鵜呑みにして、意見もいわず、従順に従う、あるいは、思考停止しているという人間、つまりは、責任をおわないという態度、もっといえば、それをしない怠惰な態度、起こることの本質を見ることなく、疑うことをせず恐怖心あおられてそれを鵜呑みにするような態度、これが、なによりの元凶でもあると思えてくる。
この元凶が放りっぱなしになっていることの果てしない闇を思い、その闇を生んだ闇を思い、闇の中を闇ともおもわず能天気に生きる人間の闇を思う。こんなこと考えていると行き場のない思いで自家中毒になって死んでしまいそうだけれど、それでも、まだ選択肢はあって、まだ自分たちは、世界で起こっていることを知り、そして自分たちがしたい暮らしを選べるし、行動できる。実際、この春、経済活動がとまったら、自然はうつくしくなったのだ。これが本当に自分たちに残された希望だ。実際10年前にこの映画を一緒に観た友人・知人たちは、全員、東京を離れ、畑や田んぼをつくるようになった。自分のことは自分でやる方向にシフトしたのである。何をもって豊かさとするのか。何をもって生きているのか。少し考えれば誰にでもわかることだ。自分のいのちを誰かまかせになんかしないことだ。自分頼りで生きることだ。神がこの世界にいるとして、神はすべてをお見通しだろうともこの映画を観て思った。

2020年12月8日

誕生日をむかえて

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50歳になってみたら、なんということはない、想像以上の清々しさと、自由な気持ちと、静かな意欲と、「どれにしようかな」などとメニュー表を眺めるあの時間のような色のない気分がやってきた。想像していたよりも、若いのである。気分も肉体も若い。そして新鮮な気分なのです。人によっては孫がいるなんてかたもいるのだろうが、うちにいるちいさいひとたちといえば、猫と犬と、近所にはその犬がうんだ犬なのであって、仕事も25年間本ばかりつくっているのであり、変化がない。大学生の文化祭を大人になってもやっているようなところがどこかある。とうぜん、ある部分が若いままになるのかもしれない。もともとからだがむちゃんこ弱いせいで、あれこれ健康法を続けることとなり、結果、この歳になっていちばん健康状態もよい。82歳になる父に、「わたしが生まれたとき、この娘が50歳になるなんて思った?」と聞いたら、思わなかったという。まあ、そうですよね。父はわたしが生まれた直後に母に「ありがとう」とだけちいさくいったと亡き母から聞いたが、今年もその両親初の娘が生まれた地(岐阜市金宝町1丁目)の目と鼻の先で、みずから誕生日会を催した(近年誕生日は、祝ってもらうというより、身近な人に感謝する日に変えた)。その日も特別に、お給仕係をさせていただき、1770年から続く老舗ワイナリーのビオのワインを注いだり、熱々の菊芋のポタージュだったり、白子のパイをテーブルに運んだりした。シェフは少し前に大怪我をされていたが、そのせいなのか、味が変容し進化していた。繊細に、軽くなり、いうなればアセンションしていた。本当に驚いた。その店とも誕生日が近いのも奇遇なことだと思う。翌日は、9歳になったばかりの友人が、(わたしには9歳から87歳の友人までがいるのです)わたしに誕生日の食事をつくってくれるという。人参のポタージュスープからはじまってオーブン料理、オレンジのゼリーまで続いた。なんという僥倖。子どもがつくる料理というのは、本当に特別な味がすると思う。淡くて、少し天上の味がする。天国で食べるみたいな味。羽がはえたような味といったらいいでしょうか。12月のぽかぽか陽気のなか、うとうとと眠くなってしまった。そのまま、子どもらに見守られて幸福のなか、死んでしまうんじゃないかと思った。自宅にはたくさんの花が飾られていて、特別な気持ちがする。ある意味ではそれまでの自分が死んだのだとも思う。葬いの花とさえとれる。どうしても、何か、あたらしいことをはじめなければならないような気持ちにもなっている。

2020年12月3日

12月に入って

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もうすぐグレイトコンジャンクションだそうである。昨年、2020年版の日めくりカレンダーを制作中にこのことを知った。木星と土星の20年ぶりの会合。土の時代からいよいよ風の時代となる。何百年に1度とか何万年に1度とか、地球は、そんな大転換期なんだそうだ。12月に入って、もうその状態に入っている感覚もある。おなかの奥と、ハートの奥と、松果体の奥に、確かな目があった、ということに気づくような感じ。そこから静かに世界全体を感じている感覚。そうやっていると、足の裏にも、手の平にも観察する目があるような感覚がうまれて、もう全方位、見渡せるような感覚になることもある。いずれにしても、ざわざわする、というようなものではない。もう肚くくりましたわ、というようなきわきわ感が12月に入ってひしひしと感じられる。わたし、観て、観て、観ています、という感覚。実際、まやかしの自分を自分などと勘違いしていたことからも多くの人が解放されつつある。たくさんの傷や悲しみや憤りがおもてに出て飛び立ちつつある。鬼は表出し、いやされ、次々と滅されている。太陽で生きると決める人がひとりふたりと続いている。自分のことは自分でする。消費ではなくて生産する。正しいではなくたのしいを選ぶ。すべて100%自分の責任であることを受け入れる。自分の責任で選び行動する。神はすべてをお見通しだ。その神がひとりひとりに内在していることに、人々がきづきはじめている。そうしていよいよ世界に、個人個人がやりたいことをやって、でもまわりと調和する高いシナジー状態が発生しつつある。高シナジーの未来には病気だって消滅する。暁の鐘は鳴る。少なくとも12月に入って、ハートの奥にある過去と未来が交差する場で、暁の鐘が、ちいさく、だが高らかに打ち響きはじめている。犬は東に向かい遠吠えをはじめた。

2020年11月10日

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夕食は、教室でつくったであろうサラダをいただいた。メインのお皿がとくにすごかった。茹でたか蒸したかした紫芋に、コリアンダー、クミン、チリ、塩麹(かな?)を混ぜてペーストにしてある。これを、皿の上に薄くしく。そのペーストの上に、ベビーリーフが山盛り。あと塩麹でつけたローのままのブロッコリーやカリフラワー、ちいさく切った柿、アマランサス、蒸した紫芋のかけら、などなどがどわわわっとケチケチすることなく、しかしうつくしく盛りつけてある。海苔ものる。すだちをたっぷりかける。あのね、これがね、もうね、信じられないくらいおいしいのであります。紫芋のペーストがドレッシング的な役割になるのだが、チリが効いてておいしいの。感動した。ささくんは、いちじくものせたかったみたいだった。食べだすと止まらない。久しぶりに食べたささくんの味。食べたことのない味。いろいろな味がする。なんというか、こう、自分の中の何かがぱちーんと弾ける味なのです。目醒める味。ただもうひたすらにもりもりと食べ続けた。おなじみ、大根麺を甘酒にひたして食べるローの料理とか、スムージーとかもあって、すっかりお腹がいっぱいになった。ケータリングのカレーはまた淡路島にきたらあらためて食べに行こう。ちなつさんがつくったけんちん汁は、お鍋の中でお豆腐が汁を吸ってぱんぱんになっていた。その様子がいかにも家みたいで、ちなつさんはみんなのおかあさんだとあらわしているようで、かたわらにはめちゃめちゃ成熟してるおとうさんのけんちゃんがいて、実家に帰ったみたいに心底安心した。大人になるって、本当にたのしい。

2020年11月10日

おいしい金土 3

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京都で寝る前も、まだ次の日どうするか決めていたわけではなかったけれど、起きたらやはり「今日は淡路島へ行くのだ」とはっきりした気持ちがあらわれた。出発してからはじめてどいちなつさんに電話。ちなつさんの名が光るのを見ていたら、ちなつさんはこれだけでわたしが淡路島へ向かっているとわかるだろうなと直感した(実際そうだった)。ほどなくしてちなつさんから折り返し電話がかかる。この日料理教室のゲスト講師をしているささたくやくんには内緒で、教室後、アトリエにうかがうことなどをささっと算段する。前日にジュン・サンたちに教えてもらっていたとおり、神戸あたり? 神戸の手前なのか? むちゃくちゃ混んだ。我々、寝坊したのである。それでも淡路島には予定より1時間半前くらいに到着して福ちゃんは、暴風の中、海岸でビーチグラスを拾った。これは、福ちゃんのかなり重要な趣味のひとつである。わたしはやはり暴風でゆさゆさと揺れる車の中でうとうとしたりメールを打ったりする。外では、ジェットスキー(?)の大会が行われていて、でも暴風のため休止している、みたいな雰囲気だった。大勢の愛好家が行き来している。バイク好きとサーフィン好きがまざったみたいな風貌の人が多い。教室がちょうど終わる頃、アトリエに到着した。ささくんとは約1年ぶり。ちなつさんけんちゃんとも数か月ぶり。でも昨日まで会っていたみたいな気持ちになる。けんちゃんなんてほとんど話したことないのに、けんちゃんと呼んでいるわたしがいるほどだ。自然に夕食を一緒にいただくことになる。目の前で、ささくんとちなつさんがつくってくれる。じっと考えながら料理をするささくんの頭には、いまごろあの料理の構造をしめすキューブが浮かんでいるのかしらんと思う。確かに味を構築していっている感じが、つくっている様子からもうかがえる。

2020年11月2日

おいしい金土 2

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もうお夕飯を食べたのだからまたどこかへ行くというのもヘンだけれど、京都に来たのは、友人知人読者さんの各展示に対するあらゆる不義理をおして、唯一時間がとれたジュン・サンの初個展の展示を見に来たからで、ジュン・サン展の流れでそりゃ飲みに行きましょうとなるに決まっていた。28年前からの続きで50歳で初個展。初日に絵が間に合っていなかったけれど、でも展示会場で絵を描き続け(!)、わたしが到着した最終日前日には壁にはずらっと絵があり、中央にしつらえたテーブルには描きかけの絵もまだあった。会場では佐野元春の「YOUNG BLOODS」が流れていた。テーブルには食べかけのチョコレートが散らかっていた。机の下には壊れた内部をあらわにした年代物のノートパソコンが、それもまた現代アートである、みたいにして横たわっていた。もう1週間近くジュン・サンは、銭湯に通いながら寝泊まりしているという。ジュン・サンが教えてくれた店は、地元の人でもなかなかたどり着けなそうな、ご夫妻が営むお寿司屋さんだった。タクシーの運転手さんに行き先を伝えると「あのお店まだありますのん」と3回は感心していった。お店には、テーブルがふたつあって、到着する直前までカウンターもわたしたちの予約席をのぞいて満席だった。おくさんであろう女性が、おすしのお持ち帰りの包みをそれはきれいに包んでいた。きっちりとお寿司がつまった中身をのぞきたくなった。背後で話している男性たちは、関西でしか見ない顔つきで、同じくらい見たくなってしまう。これまで見たことがない顔なのだ。顔が小ぶりで、どうもはっきりしすぎている。あんな顔見たことない。発声からして違う。すごく溌剌としている。ビールで乾杯したあとは、めいめい好きなものを選んでいった。まずシマアジを食べた。ネタが分厚くて、口のなかでどわっとおいしさが広がる。イワシも穴キュウ巻も全部目がまるくなるほどおいしい。ジュン・サンの友だちは、わたしではなくて福ちゃんなのに、福ちゃんを飛ばしてどういうわけだかずっとわたしの顔を見て話している。ジュン・サンの潤んだ目を見て、おいしいお寿司を食べていたら、自分が今どこにいて何をしていて誰なのかわからなくなってきた。だいたいどうしてわたしの逆隣には、ジュン・サンが最初にこの店に連れてきてもらった女性が座っているのだろうか。どうして「みれいさんは何の仕事にしている人ですかクイズ」がはじまっているのだろうか。そんな頃に、二人の友人がおいついて5人でカウンターに並んだ。おくさんは、わたしたちに全員の背中に、同じまんまるのステッチがはいっているのを見て、いぶかしげだった。「オカルトとかいわんといてよ」って、おくさんはテーブルを拭きながらいった。ふと店内の壁を見上げたら、「萬丸」って書いてある。まんまるな店にまんまるステッチの5人が集合してるのは、オカルトっていうよりも、むしろ完全さのメタファだと感じた。ヤングブラッズ、肯定のメロディ。話すうちにジュン・サンとわたしは同じ年の1月と12月生まれであることがわかった。「冷たい夜にさようなら」。佐野元春さんの声を思い出しながら、路地裏の若者たちの喧騒に紛れて帰途につく。50歳ってほんとうに、なんというか、20歳みたいなんだなあと思いはじめていた。

◎ 佐野元春「YOUNG BLOODS」
https://www.youtube.com/watch?v=eDPj3KmxBPg

◎ ジュン・サン
https://www.instagram.com/jun__than/

◎ ジュン・サンにまつわるもうひとつのエッセイは、「mmbsほころんだ、ほころんだよ通信2020冬−2021新春」(購入してくださったかたにお配りしているzine)に掲載予定です

2020年10月26日

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急遽京都へ行くことになった。フクチャンはもうずっと前から淡路島へ行きたいし、この金曜日と土曜日ならば、その両方になんとか行けそうだと直前に決めて西へ向かった。美濃から京都は車で2時間半くらいかなあ。関ヶ原を超えたあたりで、もうここは東海圏ではないと感じる。きっとことばも違うはず。滞在中は期せずしておいしいものばかり食べることができた。「菜食 光兎舎」は、ランチ営業だけなのだけれど、いろいろ事情があっておなかがペコペコで営業外だったのだけれど、特別にゆうきくんがまかないごはん的なごはんを少しだけ出してくれた。その日のランチメニューでもあったきのことなんだったかな、何かを合わせたポタージュをまず出してくださって、濃厚な秋の味のなかに淡い酸味がほどよく感じられて、度肝を抜かれた。繊細で、でも陽気で、たのしい味だった。見た目も京都らしいうつくしさで彩られて、本当に感心してしまう。お惣菜の中にれんこんのきんぴらにもびっくりした。この日はパセリであえられていたのだが、通常はディルであえるのですって。あと水にさらさないっていってた(わたしもそういう方向性が好み)。歯ごたえがあり、お醤油とみりんとお酒と唐辛子で煮た正統派の味ながら、パセリの香りとあいまって、びっくりするほどおいしい。味を、つい、二度見する感じ。自分でもぜひつくってみよう。なますも玄米ご飯もなにもかもおいしい。京都ってなんてすてきな場所なんだ。ゆうきくんがつくりだす食の世界がさらに進化していてにまにましてしまう。ありそうでどこにもない、家庭で食べる自然の味が、こう、ブラッシュアップされて、でも、洗練されすぎない家庭的な控え目さとともに、にぎやかにわいわいと供される光の兎のお店なんであります。跳ねたくなりますね。近所のかたがたは、こんなお店があってとても幸運だ。

光兎舎
https://www.instagram.com/s.kousagisha/

2020年10月19日

日曜日の午後4時

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日曜日の夕方、特に4時あたりってほかにはない時間帯だと思う。たとえばこの時間に電話で話せる相手、あるいは話したいと思う相手は、とくべつな相手という気がする。ちからが完全に抜けてしまっている時間。あいまいで、ぼんやりしていて、無意識が表面に出てしまうような。最大限にリラックスしているときといってもいい。だからといってここちいいわけでもない。少しへんな時間。安逸を貪るための時間といったらいいか。そうそう、プリミ恥部さんの「感謝」というエッセイの冒頭の一文、「曇り空、最近好きだ」というような気持ちといってもいい。まさに昨日はその時間(もちろん日曜日だ)に、プリミさんとトークライブがあって、公で、その(わたしにとっての)無意識の時間を共有することになったのもおもしろいと思ったのだけれど、まさに美濃は、この「感謝」のエッセイの冒頭みたいな曇り空で、突然寒くなっていて、つい数日前までTシャツだったのに、セーターを引っ張り出して着るような気温になっていた。沖縄にいるプリミさんのほうはといえば、こんがり日焼けして、今まで見たことがないような陽気さで画面の向こう側にいた。あかるい陽の中でmoriiyukoさんのオーナメントとともに、揺れて、さらなる脱力のなかで、あたらしい歌を歌っていた。プリミさんが、歌に出てくるピンクビーチを堪能する頃、わたしは、小屋にある薪ストーブの火を凝視していた。火はいくら見ていても見飽きない。薪が火とじゅうぶんに一体化して最高の状態になった瞬間を見るのが好き。薪にも春夏秋冬があり、薪じたいがとても極まる時間がある。そのとき、火そのものとなった薪をトングで叩くと、ぱあっと割れて銀河のようになる。星々が散り散りになる。こちらもついまぶしい気持ちになる。海岸のピンク色も、薪の火のほのおの朱色も、どこかでつながっていて、同じ暖色ならではの愛を享受しているかもしれない。ふと、日曜日の午後4時に電話で話していた、あのまどろんだ時間のことを思い出す。あの時間に話していたあの人たちは、今どこで何をしているんだろうか。でもどんな想像も、もう、こころに思い浮かばなくなってしまっていて、自分が、以前とはすっかり違う、あたらしい場所にきてしまっていることを知り愕然とした気持ちになったりもする。

2019年11月14日

詩|とうとう、あいになったわ、わたし

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c 松岡一哲

かあさん、

わたし

40だいもこうはんになっても

まだかわりつづけているのと

おおあめのひに

まったくたいようがみえないそらにむかって

うそぶいてみる

 

かわってかわってかわって

わたしはあいになってしまった

昨秋のことだ

 

あいになってしまったら

ぜんぶわかる

あいになってしまったら

さかいがなくなって

そうして同時に

かんぜんなるひとりきりになる

かんぜんにぜんぶとつながってる

そしてひとりなのやっぱり

 

あはは

おかしいね

いや まって

かなしいのかな

 

あらゆる感情という感情が

どんどんどんどん

背中の各所からとびだしていく

龍の背なに乗って

 

さよならわたし

こんにちはわたし

 

おおあめの向こうから

山がこちらをのぞいてる

山だって

おお

わたしじしんなのであった

 

2019年2月10日

天使ですか

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からだごと感謝になって歩いていたら

きら

きら

きら

と空中で光がまたたくようになった

天使ですか?

霊界の視点はいつだって清(さや)か

 

2018年4月7日

松岡一哲くん、写真集マリイ

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©Ittetsu Matsuoka

友だちが少し前にZAZEN BOYS をYou Tubeで見はじめたら止まらなくなってしまったという話を聞いて、「えー、それもう、何年か前に終わったブームだわ」と思っていたら、この春突然、同じ病気にかかってしまった。早この2日間、えんえん、ZAZENをYou Tubeで見続けている。COLD BEATとか。冷凍都市のど真ん中の、ね●500ページを超える写真集『マリイ』のリリースがいよいよ目前に迫り、胸の高まりを抑えられないのか。写真集『マリイ』について、松岡一哲くんという写真家について、語りたいことは山のようにあるのだけれど、なかなか語れない自分がいる。安易に語りたくなんかないとも思う。本当に優れた写真には、何をいってもことばなど陳腐なのだと今回ほとほと思い知らされたからだ。ことばなどで語れないものがあるから、写真家は写真を撮影するのでしょう? だとしたらことばで何かいう必要などあるのだろうか? ●若いころある一部の音楽誌を除いて音楽について書かれたものを読むのがつらかった。音楽が言語化するとは、ほとんどの場合が無駄なことだと感じる。ライターの過剰な自我と承認欲求で溢れた原稿をどう読めばよいのか。ライナーノーツも好きじゃなかったし。音楽は聴けばいいだけのことだし、写真も観ればいいだけのことだって思う。ことばにならないから、音楽は存在し、写真というものが在るのでしょう。一哲くんの写真が、今回、もう、いやというほど、そのことをわたしに突きつけた。500ページ、何度観てもページをめくる手を止めることができない。佐々木暁さんが信じられない精度で一哲くんを、マリイを、編んだ。見開きごとの完成度はただならぬことになっている。一哲と暁と、そしてこの二人をこんなにしてしまうマリイって、もう、いったい、なんなんだよ! 写真集のオファー時に暁さんが地下深い暗闇で泣き、初校ではわたしが都立大学で号泣した。昨年六本木のタカ・イシイギャラリーでルイジ・ギッリを観たら、まったくもって、一哲くんはこの系譜にある芸術を、いや、これ以上の芸術をつくってるんじゃんと頰が紅潮した。わたしは、この数年間、写真という芸術と対峙した。とんでもない写真集ができてしまった。