2023年8月15日

わたしの戦争体験

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どこかで書いた記憶もあるし、どこかで話した話のような気もするけれど、とても大事なことだと感じるから、今日もまた書いてみようと思う。

わたしの母は、1945年8月13日生まれである。ギリギリ戦前生まれなのだ。2日だけだから戦前も戦後もないけど、一応そうなる。生きていたら78歳だった。78歳になっている母を想像するのも難しく、今となっては「アチラの世界で元気かしら」と思うのが常態となっていて、特段センチメンタルな気持ちになったりもしない。とにかく母とわたしはとても仲がよかったし、また同時によくある母娘関係同様、愛憎半ばする、そんな関係でもあった。

母は、からだが弱かった。わたしがちいさいころから、あちこちが悪くなってしょっちゅう手術したり入院したりすることになった。その度に祖母が泊まりにきたり、わたしがひとり叔母のところへ宿泊したりして、気丈に振る舞っていた。ちいさいころに、死の影がチラチラしていたことは、思春期以降わたしの精神にあれこれ影響するようになった。こうして物書きの片割れみたいな仕事をしていることにも関係していると思う。
そうだ、だいたい、わたしが本を書くようになったいちばんの理由は、そもそもわたしのからだが弱かったからであり、それが元気になっていった体験を書きはじめたのがはじまりだった。そう思えば、心身がヨワヨワだったことも、何か意味のあることだったには違いない。もちろんわたし自身の魂のカルマもあると思う。

ただ、今日書きたいのは、母がまだ祖母のおなかにいる時、戦争中だったということだ。
祖母は、おなかにいる母を庇いながら、空から降ってくる銃弾から逃れたことがあると聞いたことがある。栄養状態もきょうだいの中でもっとも悪かった。
数年前、わたしのからだが弱かったことは、この母の羊水の中での戦争体験と地続きだと気づいた。偶然かもしれない。でも、関係がないともいえないと思う。
戦争は、こうして、人間の心身に静かに影響を与え続ける。遠く、そして深く。このことを今日、どうしてもここに記しておこうと思った。

2023年5月15日

中島基文 ひつじやふねやくびかざり展 を観て

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中島さんには、十数年前からマーマーマガジンや拙著の本のデザインをしていただき(特に「あたらしい自分になる本」シリーズ3冊は、このチームのささやかな発明だったなと思う)、その日頃の関係性からいったら当然、中島さんの初個展には、初日に駆けつける必要があったのだが、この日、これまたはじめての父と夫との3人での、しまなみ海道旅が決定していて、個展がはじまった頃は、何の因果か広島県の尾道にいた(広島風お好み焼きを食べるなどしていた)。瀬戸内の島々は、柑橘が豊富に摂れて、太陽があかるくて、海がどこまでも穏やかでただただ豊かな幸福な温暖な場所だった。黄金週間中も美濃の店でイベントが続き、とうとう足を運べたのは、最終日だった。豪雨の京都を歩いて光兎舎ギャラリーに到着すると、白いTシャツの中島さんが立っていて、粘土でつくった丸っこいものや、粘土から蛍光ピンクの糸が出ているものや、いろとりどりの粘土がちいさな炎のように細かくたくさん吹き出している造形や、いくつかのペールトーンのちいさな塵のようなものが全面に散らばっている絵のようなものや、銀色の動物の胴体が折れているような絵(バックは赤いドット)、パートナーのしほさんのお店の意匠を感じさせるような粘土の愛らしい丸っこい旗、十字架にスカートを履いた女の子のような粘土の造形(十字架はとっくに消えている)などが散らばっている。床にもたくさん作品が置かれている。一見わかりづらいところにも作品はあって、その絵は、とても抽象的な絵みたいな感じだったけれど、それは海に感じた。一体全体なんなのだ、このあかるさは。展示へ先に行った人が、かわいかった! みたいな感想をいっていたけれど、わたしが感じたのは、広島的な瀬戸内の太陽のあかるさだ。実際、そこには、中島さんらしい、毒々しさや、ちょっとした怒りみたいなものもあって、皮肉もユーモアもある。ところがどっこい、全面を覆っているのは単純なあかるさであり、かわいさそのものだった。少なくともわたしはそのあかるさとかわいらしさを全身で浴びた。いずれにしても人生の初個展は、これから無尽蔵に造形をしていくその種が蒔かれたというような内容だった。ひとつひとつの作品から、あらゆる可能性が駄々漏れていた。まるでちいさな男の子の存在感のように。おじさんなのにこのガール感。マーマーマガジンも、自分(編集長)に内包するガール感っていうよりは、実は中島さん(アートディレクター)のガーリー味(み)に支えられての表現だったのかもなと帰り道、作品の色を反芻した。複雑なところのない、格好もつけていない、こころがただただあかるくなって陽気になる展示だった。これがこの2023年に行われたこともなんだか、すごく、安心できてよかった。中島さんという人物の存在感そのものだと思った。

2023年1月16日

おびただしいパラレルワールドを目前にできることがある|選べるということへの驚嘆と歓喜

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2023年のことは、あたりまえのことだけれど、いくら考えてもよくわからないという感じで、それよりも、パンクのドキュメンタリーばかり観ていた。CRASSとかFUGAZI とか、自分はもちろんぜんぜんちがうけれど、ただインディペンデントでDIYでどう出版社をやっていくか、足元を確かめたい気持ちがあったかな。年始はこんな確信が胸に飛び込んできた。全世界の人々の思い、意識、考え、発言したこと、行動、選んだこと、それらが瞬時に絡み合い、未来をつくっているということをありありと確信した。そんなのあたりまえじゃん、って思われるかもしれないけれど、なにか、この新年は、一斉に何十億という人が感じたり考えたり意識したり行動したり発言したりしたことが、より一斉に絡み合って未来ができあがっていることをビシバシ肌で感じた。おびただしい質と量のパラレルワールドがあるということだ。この瞬間に選んだこと、その絡み合いで(何十億の!)瞬間瞬間はできあがっている。そこに植物、動物、鉱物も絡んでくる。いうまでもなく宇宙の星々も絡んでいる。宇宙存在も絡んでいる。決まっていることと決まっていないことがある。カルマもある。カルマの浄化もある。いずれにせよ、おびただしい量のひとりの一瞬の思いや発言であれ、次の瞬間の未来に影響している。「すごくないですか!!!!!!!!」と今風に叫び出しそうになった。一寸先も予想ができない世界ではあるけれど、今は未来を変えるし、今は過去も変えるんだということだけははっきりとわかる年頭なのであります。

2023年1月15日

2022年3月27日

詩|わたしたち、春分から清明へ —小城弓子 またたきのは展にささげる

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うつくしい ということばでは足らない
やさしい ということばでも足らない
ありがたい ということばでもない                                                                           
あたたかいでも やわかいでも 足りない

                                                                                                  
これは 円をつくっていくときにうまれる 
統(す)ぶるちから
春のあわい夢をうむ みなもと
闇のなか 静謐をやどす いずみ

この静けさを あなたは聴いたことがあるか
わたしはなかった
でも 思い出しました この鉛筆の漆黒とひかりに浸るなか

息をはいてはいてはいてはいて
はいてはいてはいた先にある扉の向こう
わたしをたしかに活かしている存在
それは この静けさでありました

清らかということばでも足りない
ましてや かわいいとか あいらしいとか でもない
かしこいという ことばでもない

ここにあるのは 存在の確かさ
存在の奥の奥の またその奥にある静けさ

静けさへの信頼
その静けさは すべての人に宿る静けさと つながっているという確さ
めくばせでわかるこの安心感 (やっぱりね)
この確さをしかと胸とおなかで受け止め
友らよ、これから わたしたち、しっかりあゆんでいけそうです

堂々とした静けさが
今、ここにあらわれた

あかんぼうのくちびるの輝き
まつ毛にのこった一滴のちいさな涙
新緑の萌えるときに はっせられる あの息づかい
空中にただよう思いと思いのあいだ

あなたも思い出すでしょう
自分のなかにこの静けさを
またたきとまたたきのあいだ
またたきのうまれるこのとき
またたきの、この響きに

わたしも、龍に、こんにちはというよ
ときは、いよいよ 清明*です

*清明……二十四節気の第5。旧暦2月後半―3月前半。万物が清々しくあかるくうつくしい頃。

服部みれい
2022年3月25日 春の朝に

2021年11月22日

詩|球(たま)

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ぱっかりとふたつに割れて
あなたの前に現れたけれど
わたし、ほんの半月前までは
ひとつのたまだったんですよ

ぷかぷかと南シナ海からやってまいりました
インド人のようなムードの7歳程の男の子が
わたしを海に向かって投げた
そこまでがわたしのはっきりとした記憶です
そのあとはずっと海
ずっと海を
果てしないじかんの海を
ただ浮いて浮いて浮いているだけの人生

そのまま浮いて終わるかと思った
沈むとばかり思ってました 海のそこへ

どれくらい時間が経ったのだろうか
からだの表面はひしゃげ、水を吸いすぎて
どこからが自分でどこからが自分じゃないか
もうわからなくなってしまった頃
その頃のわたしはすっかり眠ってばかりいました

もう自分は死んだのかもしれない
死んだか生きているのかもわからないって感じになることってあるんです
ただ浮いているだけの
ただ浮いているだけの
わたし

無思考です
無感動で無感覚です

そうやって浮いているだけだったわたしが
辿り着いたのは
実際に鎌倉の冬の海岸でした

若々しく、人間たちが集う場所ではない、こっそりした場所に
わたしは辿り着いたのだ
そうして、割れました ふたつに
まさかふたつに割れるとは思ってないかった、わたしという存在が

強い風が吹いた日があったのです
風がわたしを岩に当て、割れました
見事にふたつに割れました
そうして割れたまま半月の間
岩のかげや、砂のまにまにいたわ
とても不思議な気持ちだった
ずっとひとつだったから

そうしたら
悠くん、あなたが現れたのですよ
拾って石を入れ
わたしを縫いつけひとつのボウルのわたしにしましたね

わたしであってもう過去のわたしじゃない

あたらしいわたしになったわたしは
なんだかぬくとい
淡いピンク色の場所に置かれて
今は座敷の上にいます
今度はどこへいくのやら
わたしのだんなさまになる人は
どこかにいるのか
すっかり乾いた肌で
今日もなんとか生きています

河合悠展 糧となり のために 2021|11|18

2021年11月21日

詩|存在

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なつかしい
あの石だたみで見た
白濁した
土埃り

それをまとった粒を
じっと見ていた午後
みるみるわたしは
ちいさくなっていき
気づけば
素焼きの糧
そのつぶつぶを構成する
土の粒子となっていた

静かである
沈黙をしたいなどという
願望すら消え
静かである
わたしは誰からも
判別不明な土である

土の粒子となったわたしからも
世界は見える
むしろとてもよく見える
ここから見る世界は沈黙でできている
沈黙に身をうずめて
さらに世界を観察し続ける
すると
すべて同じものから生まれたことが
はっきりとわかる

わたしは土です

その意識も遠のく頃
どこまでも深く吐いた息は
とうとう世界の果てにまで
行き着いてしまった
これ以上吐くことができない終着点で

息は
とうとう
やんだ

わたしは

です

その意識さえ遠のいて
完全な暗闇に
すっかり飲み込まれ
とうとうわたしは
暗闇そのもの

なっていた

沈黙以上の沈黙が
海となって
たゆたう
海となって
たゆたう
海となって
たゆたう

このときこの空間を
こころの奥底から待っていた
わたし自身から溢れる思いに心底安堵する

ふと
暗闇にかかっていた
茜色の暖簾をくぐる
すると
だいじなひとは立っていた
たったひとり
同時に
全身が骨まで白く発光していたのである

驚いたな

驚いた瞬間
わたしはひさしぶりに息を吸った
からだじゅうの細胞という細胞に
あたらしい空気が行き渡り
意識はふきもどり
土に戻っていた

おや?
しかし わたしは
もう あのつぶつぶでは ないようだよ?

しっとりとした
湿度の高い
漆黒の暗闇のなか
カテドラルの荘厳な響きのなかで
ひとつの火をたよりに
縄を 編む 男 ひとり

おや?
わたしは
いったい どこにいるのだろう?

わたしは
ひんやりとした赤い土となり
土間から
男を見つめていた
男の手を
男の指を
その先を
その先の闇を

わたしはまた
編まれるつぶつぶに
なっていくのか
土として
糧となり
音となり

河合悠展 糧となりに捧ぐ 
2021|11|17

2021年9月19日

秋のたより

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ひがんばながギャルだとわかったのは、
一昨日のことでした。
車窓から見えるひがんばなのいち郡に
ふと耳を凝らしてみたならば
「きゃっきゃ」「きゃっきゃ」
いっていたわけです。
ひがんばなとは、
こってりメイクのスナックのママ的おんな、を想像していたのだが。
花の世界は、時間が逆になってるのかもしれないなどと想像を豊かにしながら
秋の道を歩くのはここちの良いものです。
夏に、結果を動機としないという考えを聞いて
自分がホントに原因となれるか観察を続けています。
嘘をつかないのが好き。
護岸工事されていない川が好き。
(でもやってるやってる!とはいう。ど根性で)
秋の空では虹の響きと暗雲の響きが拮抗し
みごとに同居しています。

2021年5月24日

自分のなかに眠るしんとしたところを24時間発動させる

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先日、しあわせとはなにかという質問を無有無さんからしていただいて、こう、エネルギーが高い体験みたいなことだ、というふうにお答えした(*)。エネルギーが高いといっても、なにか崇高な体験とかそういうことではなくて、なんだろな、こう、ぎゅっとした時間というか、純粋性が高い時間というか、なんだかここちよいインパクトのある時間みたいなのってありますよね。ジューシーな時間というか(ますますわからないか)。わたしの場合は、岐阜の高鷲というところの郷土料理を、あるご家庭のおかあさんにつくっていただいて、ぱくぱくと食べて、いろんなはなしでもりあがりにもりあがって、最後は大爆笑だけみたいな、そんな時間をしあわせだと感じるというふうにお話しした。もちろんその気持ちはかわらないのだけれども、もうひとつあの質問をされたときに、じつは思い浮かんでいたことがあって、それは朝、山にむかって瞑想をする時間にもっとも高い幸福を感じるということなんです。あの、ひとり、山の空気を全身で感じながら瞑想をするときっていうのは、実際のところ、いちばんしあわせな時間なんじゃないか。そして、今、あの瞑想のときに体感する、自分のなかにある「しん」とした部分が、全方位的に、あらゆる場面で、ものごとを、人を、ときにこじれたなにかを解放していくヒントになるんじゃないかと思っている。「そこ」がいよいよ発揮される時がきたのである。発動しないとならない状況なのかもとも。いよいよ24時間瞑想状態、時空が変わるときがやってきている。

2021年2月1日

黒豆と田つくりとあれこれ

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この冬は、もう、お正月におせちをつくるつもりもなかったのだけれど、2020年も年末が近づくにつれて、なんというか、何もつくらないというのも少しつまらないような気持ちになった。いよいよ「風の時代」っていうのがはじまったということだし、ここは時勢に乗じて、どうしても食べたいものだけをつくることにする。直感にしたがってつくることになったのは、黒豆と田つくり。あと、紅白なます、ニシンの昆布巻き。なんて考えていたら、どうしてもお煮しめもつくりたくなる。かまぼこは、なんと小田原の友人から年末ぴったりにぷりぷりのが届いて感激した。いや、もう、これだけあれば、立派なおせち、である。黒豆は、30日の夜中に、煮汁を沸騰させてそこに黒豆をどばっと入れて漬け込み、朝から5時間ほど炊いた。お水を足したのは1回きり。これがびっくりするほどうまくいった。固さ、甘さ、ツヤ、自分にしては120点であった。今回のつくりかたを今後も踏襲しよう。田つくりは、恥ずかしながら生まれて初めてつくったのだが、これまたむちゃんこ上手にできた。噛むとジュワッとジューシーで、ゴマの香りが鼻に残る。紅白なますの甘みには、一昨年冷凍したてづくりの干し柿を使った(今年実家の渋柿は1つも採れなかった!)。お煮しめは、炊いている時、本当に最高の気持ちになる。あの豊かすぎるかおり! お煮しめのレメディとかつくらなくていいですかね(つくらなくていいか)。ニシンの昆布巻きは、みがきニシンを戻すという作業に、気持ちのほとんどを使った感じ。しかも、どこが「戻った」ゴールなのかいまいちわからなかった。準備が遅くて、結局昆布巻きにして煮たのは1月4日だったかな。これもお煮しめ同様、自作ならではの淡いお味でたいへん満足した。そういえば、年末に、「自分は何が好きかって、かぶら寿司が、食べ物の中でもっとも好きかもしれない」と嘯いていたら、なんとその2日後に、偶然にも石川県の友人からかぶら寿司が届いてこれまた驚いた。お正月は、カナダのりんごのお菓子(アップルクリスプ)をつくったりして、結局台所にしょっちゅう立ってたのしかったな。三國清三シェフの半生をYouTube()で聴くことができたのもよかった。ニシンの生まれ変わりと呼ばれた男。料理人の一代記を読んだり聴くのがほんとうに好きだ。12月1月、特にお正月苦手病も、料理のおかげで、地の時代に置いていけたような気がする。

2020年12月28日

詩|革命について

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ほんとうの革命には

旗振り役はいない

しずかに そっと そしらぬまに はじまって

そして

おわってる

ほんとうの革命では

血はながれない

循環する血と氣

円となって

やくどうするいのちが

ほんらいを選別する

宇宙がうごく

わたしがうごく

わたしのおおもとがうごく

わたしの原始がうごいて

その音で

宇宙はめざめる

時は風の時代

2020年12月14日

人は何によって生きるのか

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約10年ぶりに『ミツバチの羽音と地球の回転』(監督:鎌仲ひとみ)を観た。記憶違いでなければ、2011年の東日本大震災の直後にこの映画を東京で観ている。映画は、山口県上関町田ノ浦に建設予定の原発に反対する、田ノ浦の対岸に住む祝島の人々を追う。祝島のおばちゃんや漁師たちは、もう28年も原発に反対している(2010年時点で28年なのだから、もう38年になっている)。福島でのあのような事故を経て、なお、「直せないものはつくりません」とならないのは、「直せないものをつくったら、地球や人間がどういうことになるのか」という想像力さえもつことがかなわず、「金だけ、今だけ、自分だけ」という恥ずかしい人間が大多数ということだろうが、それも人間の性(さが)なのか。人類のカルマか。

前回見たときは、反対派の通帳に、突然5億4千万円ものお金が勝手に振り込まれたり、に、衝撃を受けたが、今回は、特に、豊かな海と自然を残したいという、漁師さんや漁(第一次産業)に関わるおばちゃんたちと、電力会社の人たちが、海上で、海を隔てて意見を言い合う場面が印象に残った。漁師やおばちゃんたちの「ことば」は、誰が聞いても本気で本心で実がある「ことば」だ。それに対して、電力会社の人たちの「ことば」は、のけぞるほどに、うわっつらで表面的で空虚に、わたしの耳には聞こえた。正直、ロボットみたいに見えた。生きた人間と、操られ人形が話しているみたい。この対比がただただすごい。カメラはそのままをうつしていた。漁師やおばちゃんたちは、第一次産業でやっていこうといっている。海を守ろうといっている(世界的にも類をみない生物多様性のホットスポットでもある)。自然エネルギーでやっていこうといっている。一方、電力会社側は、もう島は第一産業では経済力がもたない、自分たちを守るために(つまりは経済のために)原発が必要だと説く。「海は絶対に壊れない」という。「絶対に」……???(映画は森林の伐採がはじまった時点で、すでに海の生態系が変わってきたことも、真摯に伝えている)。両者のいちばんのシンプルな違いは、漁師や海にかかわるおばちゃんたちは、この反対運動を手弁当で行っている。誰からもお金をもらわず行っている。それに対して、電力会社の人はサラリーマンであるという点だと思った。漁師やおばちゃんたちは、お金をもらわなくても反対運動をしている。電力会社の人は、お金をもらわなくても、建設しようとするのだろうか? 果たして?
映画では、さらにスウェーデンで、脱石油、脱原発で、完全にエネルギーの自給に成功した町を取り上げる。循環型でサステナブルなエネルギーで、充分、暮らしはまかなえるのだ。「第3の解答」は、世界中にあまた表出している。しかもスウェーデンのその町の政治は、ボランティアで行われているというのが印象的だった。また「ひとりひとりが責任をもつ」ということに尽きると、その改革に携わった人がいっていたのも、こころに刻まれた。
わたしは、海の上で、マイクでやりとりをする、漁師さんおばちゃんらと、電力会社の人たちを見て、ほんとうに、世界中のあちこちでこんなふうに二項対立をさせられて、それぞれの「正しい」によって翻弄されている人間の姿をしみじみ思った。島は、反対派と賛成派で今も分断され、家族のなかでも仲違いがあるという。これって、誰かの悪巧みなの?

人は何で生きるのか? このような二項対立を生んでいるのは、都市化がすすむほどに人を滅ぼしていく都市のシステムと、それを支える自分たちだろうと思う。万が一、誰かにあやつられて、洗脳されてこうなっていたのだとしても、この行為を実際にしているのは自分たちだ。わたしたちは渡ろうとしている橋を壊しながら渡っている。ジョージ・オーウェルの『動物農場』を読了したばかりだということもあるけれど、なにせ、上のいうことをただ鵜呑みにして、意見もいわず、従順に従う、あるいは、思考停止しているという人間、つまりは、責任をおわないという態度、もっといえば、それをしない怠惰な態度、起こることの本質を見ることなく、疑うことをせず恐怖心あおられてそれを鵜呑みにするような態度、これが、なによりの元凶でもあると思えてくる。
この元凶が放りっぱなしになっていることの果てしない闇を思い、その闇を生んだ闇を思い、闇の中を闇ともおもわず能天気に生きる人間の闇を思う。こんなこと考えていると行き場のない思いで自家中毒になって死んでしまいそうだけれど、それでも、まだ選択肢はあって、まだ自分たちは、世界で起こっていることを知り、そして自分たちがしたい暮らしを選べるし、行動できる。実際、この春、経済活動がとまったら、自然はうつくしくなったのだ。これが本当に自分たちに残された希望だ。実際10年前にこの映画を一緒に観た友人・知人たちは、全員、東京を離れ、畑や田んぼをつくるようになった。自分のことは自分でやる方向にシフトしたのである。何をもって豊かさとするのか。何をもって生きているのか。少し考えれば誰にでもわかることだ。自分のいのちを誰かまかせになんかしないことだ。自分頼りで生きることだ。神がこの世界にいるとして、神はすべてをお見通しだろうともこの映画を観て思った。

2020年12月8日

誕生日をむかえて

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50歳になってみたら、なんということはない、想像以上の清々しさと、自由な気持ちと、静かな意欲と、「どれにしようかな」などとメニュー表を眺めるあの時間のような色のない気分がやってきた。想像していたよりも、若いのである。気分も肉体も若い。そして新鮮な気分なのです。人によっては孫がいるなんてかたもいるのだろうが、うちにいるちいさいひとたちといえば、猫と犬と、近所にはその犬がうんだ犬なのであって、仕事も25年間本ばかりつくっているのであり、変化がない。大学生の文化祭を大人になってもやっているようなところがどこかある。とうぜん、ある部分が若いままになるのかもしれない。もともとからだがむちゃんこ弱いせいで、あれこれ健康法を続けることとなり、結果、この歳になっていちばん健康状態もよい。82歳になる父に、「わたしが生まれたとき、この娘が50歳になるなんて思った?」と聞いたら、思わなかったという。まあ、そうですよね。父はわたしが生まれた直後に母に「ありがとう」とだけちいさくいったと亡き母から聞いたが、今年もその両親初の娘が生まれた地(岐阜市金宝町1丁目)の目と鼻の先で、みずから誕生日会を催した(近年誕生日は、祝ってもらうというより、身近な人に感謝する日に変えた)。その日も特別に、お給仕係をさせていただき、1770年から続く老舗ワイナリーのビオのワインを注いだり、熱々の菊芋のポタージュだったり、白子のパイをテーブルに運んだりした。シェフは少し前に大怪我をされていたが、そのせいなのか、味が変容し進化していた。繊細に、軽くなり、いうなればアセンションしていた。本当に驚いた。その店とも誕生日が近いのも奇遇なことだと思う。翌日は、9歳になったばかりの友人が、(わたしには9歳から87歳の友人までがいるのです)わたしに誕生日の食事をつくってくれるという。人参のポタージュスープからはじまってオーブン料理、オレンジのゼリーまで続いた。なんという僥倖。子どもがつくる料理というのは、本当に特別な味がすると思う。淡くて、少し天上の味がする。天国で食べるみたいな味。羽がはえたような味といったらいいでしょうか。12月のぽかぽか陽気のなか、うとうとと眠くなってしまった。そのまま、子どもらに見守られて幸福のなか、死んでしまうんじゃないかと思った。自宅にはたくさんの花が飾られていて、特別な気持ちがする。ある意味ではそれまでの自分が死んだのだとも思う。葬いの花とさえとれる。どうしても、何か、あたらしいことをはじめなければならないような気持ちにもなっている。

2020年12月3日

12月に入って

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もうすぐグレイトコンジャンクションだそうである。昨年、2020年版の日めくりカレンダーを制作中にこのことを知った。木星と土星の20年ぶりの会合。土の時代からいよいよ風の時代となる。何百年に1度とか何万年に1度とか、地球は、そんな大転換期なんだそうだ。12月に入って、もうその状態に入っている感覚もある。おなかの奥と、ハートの奥と、松果体の奥に、確かな目があった、ということに気づくような感じ。そこから静かに世界全体を感じている感覚。そうやっていると、足の裏にも、手の平にも観察する目があるような感覚がうまれて、もう全方位、見渡せるような感覚になることもある。いずれにしても、ざわざわする、というようなものではない。もう肚くくりましたわ、というようなきわきわ感が12月に入ってひしひしと感じられる。わたし、観て、観て、観ています、という感覚。実際、まやかしの自分を自分などと勘違いしていたことからも多くの人が解放されつつある。たくさんの傷や悲しみや憤りがおもてに出て飛び立ちつつある。鬼は表出し、いやされ、次々と滅されている。太陽で生きると決める人がひとりふたりと続いている。自分のことは自分でする。消費ではなくて生産する。正しいではなくたのしいを選ぶ。すべて100%自分の責任であることを受け入れる。自分の責任で選び行動する。神はすべてをお見通しだ。その神がひとりひとりに内在していることに、人々がきづきはじめている。そうしていよいよ世界に、個人個人がやりたいことをやって、でもまわりと調和する高いシナジー状態が発生しつつある。高シナジーの未来には病気だって消滅する。暁の鐘は鳴る。少なくとも12月に入って、ハートの奥にある過去と未来が交差する場で、暁の鐘が、ちいさく、だが高らかに打ち響きはじめている。犬は東に向かい遠吠えをはじめた。

2020年11月10日

おいしい金土 4 

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夕食は、教室でつくったであろうサラダをいただいた。メインのお皿がとくにすごかった。茹でたか蒸したかした紫芋に、コリアンダー、クミン、チリ、塩麹(かな?)を混ぜてペーストにしてある。これを、皿の上に薄くしく。そのペーストの上に、ベビーリーフが山盛り。あと塩麹でつけたローのままのブロッコリーやカリフラワー、ちいさく切った柿、アマランサス、蒸した紫芋のかけら、などなどがどわわわっとケチケチすることなく、しかしうつくしく盛りつけてある。海苔ものる。すだちをたっぷりかける。あのね、これがね、もうね、信じられないくらいおいしいのであります。紫芋のペーストがドレッシング的な役割になるのだが、チリが効いてておいしいの。感動した。ささくんは、いちじくものせたかったみたいだった。食べだすと止まらない。久しぶりに食べたささくんの味。食べたことのない味。いろいろな味がする。なんというか、こう、自分の中の何かがぱちーんと弾ける味なのです。目醒める味。ただもうひたすらにもりもりと食べ続けた。おなじみ、大根麺を甘酒にひたして食べるローの料理とか、スムージーとかもあって、すっかりお腹がいっぱいになった。ケータリングのカレーはまた淡路島にきたらあらためて食べに行こう。ちなつさんがつくったけんちん汁は、お鍋の中でお豆腐が汁を吸ってぱんぱんになっていた。その様子がいかにも家みたいで、ちなつさんはみんなのおかあさんだとあらわしているようで、かたわらにはめちゃめちゃ成熟してるおとうさんのけんちゃんがいて、実家に帰ったみたいに心底安心した。大人になるって、本当にたのしい。

2020年11月10日

おいしい金土 3

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京都で寝る前も、まだ次の日どうするか決めていたわけではなかったけれど、起きたらやはり「今日は淡路島へ行くのだ」とはっきりした気持ちがあらわれた。出発してからはじめてどいちなつさんに電話。ちなつさんの名が光るのを見ていたら、ちなつさんはこれだけでわたしが淡路島へ向かっているとわかるだろうなと直感した(実際そうだった)。ほどなくしてちなつさんから折り返し電話がかかる。この日料理教室のゲスト講師をしているささたくやくんには内緒で、教室後、アトリエにうかがうことなどをささっと算段する。前日にジュン・サンたちに教えてもらっていたとおり、神戸あたり? 神戸の手前なのか? むちゃくちゃ混んだ。我々、寝坊したのである。それでも淡路島には予定より1時間半前くらいに到着して福ちゃんは、暴風の中、海岸でビーチグラスを拾った。これは、福ちゃんのかなり重要な趣味のひとつである。わたしはやはり暴風でゆさゆさと揺れる車の中でうとうとしたりメールを打ったりする。外では、ジェットスキー(?)の大会が行われていて、でも暴風のため休止している、みたいな雰囲気だった。大勢の愛好家が行き来している。バイク好きとサーフィン好きがまざったみたいな風貌の人が多い。教室がちょうど終わる頃、アトリエに到着した。ささくんとは約1年ぶり。ちなつさんけんちゃんとも数か月ぶり。でも昨日まで会っていたみたいな気持ちになる。けんちゃんなんてほとんど話したことないのに、けんちゃんと呼んでいるわたしがいるほどだ。自然に夕食を一緒にいただくことになる。目の前で、ささくんとちなつさんがつくってくれる。じっと考えながら料理をするささくんの頭には、いまごろあの料理の構造をしめすキューブが浮かんでいるのかしらんと思う。確かに味を構築していっている感じが、つくっている様子からもうかがえる。