2023年8月15日

わたしの戦争体験

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どこかで書いた記憶もあるし、どこかで話した話のような気もするけれど、とても大事なことだと感じるから、今日もまた書いてみようと思う。

わたしの母は、1945年8月13日生まれである。ギリギリ戦前生まれなのだ。2日だけだから戦前も戦後もないけど、一応そうなる。生きていたら78歳だった。78歳になっている母を想像するのも難しく、今となっては「アチラの世界で元気かしら」と思うのが常態となっていて、特段センチメンタルな気持ちになったりもしない。とにかく母とわたしはとても仲がよかったし、また同時によくある母娘関係同様、愛憎半ばする、そんな関係でもあった。

母は、からだが弱かった。わたしがちいさいころから、あちこちが悪くなってしょっちゅう手術したり入院したりすることになった。その度に祖母が泊まりにきたり、わたしがひとり叔母のところへ宿泊したりして、気丈に振る舞っていた。ちいさいころに、死の影がチラチラしていたことは、思春期以降わたしの精神にあれこれ影響するようになった。こうして物書きの片割れみたいな仕事をしていることにも関係していると思う。
そうだ、だいたい、わたしが本を書くようになったいちばんの理由は、そもそもわたしのからだが弱かったからであり、それが元気になっていった体験を書きはじめたのがはじまりだった。そう思えば、心身がヨワヨワだったことも、何か意味のあることだったには違いない。もちろんわたし自身の魂のカルマもあると思う。

ただ、今日書きたいのは、母がまだ祖母のおなかにいる時、戦争中だったということだ。
祖母は、おなかにいる母を庇いながら、空から降ってくる銃弾から逃れたことがあると聞いたことがある。栄養状態もきょうだいの中でもっとも悪かった。
数年前、わたしのからだが弱かったことは、この母の羊水の中での戦争体験と地続きだと気づいた。偶然かもしれない。でも、関係がないともいえないと思う。
戦争は、こうして、人間の心身に静かに影響を与え続ける。遠く、そして深く。このことを今日、どうしてもここに記しておこうと思った。