2023年5月15日

中島基文 ひつじやふねやくびかざり展 を観て

hitsuji

中島さんには、十数年前からマーマーマガジンや拙著の本のデザインをしていただき(特に「あたらしい自分になる本」シリーズ3冊は、このチームのささやかな発明だったなと思う)、その日頃の関係性からいったら当然、中島さんの初個展には、初日に駆けつける必要があったのだが、この日、これまたはじめての父と夫との3人での、しまなみ海道旅が決定していて、個展がはじまった頃は、何の因果か広島県の尾道にいた(広島風お好み焼きを食べるなどしていた)。瀬戸内の島々は、柑橘が豊富に摂れて、太陽があかるくて、海がどこまでも穏やかでただただ豊かな幸福な温暖な場所だった。黄金週間中も美濃の店でイベントが続き、とうとう足を運べたのは、最終日だった。豪雨の京都を歩いて光兎舎ギャラリーに到着すると、白いTシャツの中島さんが立っていて、粘土でつくった丸っこいものや、粘土から蛍光ピンクの糸が出ているものや、いろとりどりの粘土がちいさな炎のように細かくたくさん吹き出している造形や、いくつかのペールトーンのちいさな塵のようなものが全面に散らばっている絵のようなものや、銀色の動物の胴体が折れているような絵(バックは赤いドット)、パートナーのしほさんのお店の意匠を感じさせるような粘土の愛らしい丸っこい旗、十字架にスカートを履いた女の子のような粘土の造形(十字架はとっくに消えている)などが散らばっている。床にもたくさん作品が置かれている。一見わかりづらいところにも作品はあって、その絵は、とても抽象的な絵みたいな感じだったけれど、それは海に感じた。一体全体なんなのだ、このあかるさは。展示へ先に行った人が、かわいかった! みたいな感想をいっていたけれど、わたしが感じたのは、広島的な瀬戸内の太陽のあかるさだ。実際、そこには、中島さんらしい、毒々しさや、ちょっとした怒りみたいなものもあって、皮肉もユーモアもある。ところがどっこい、全面を覆っているのは単純なあかるさであり、かわいさそのものだった。少なくともわたしはそのあかるさとかわいらしさを全身で浴びた。いずれにしても人生の初個展は、これから無尽蔵に造形をしていくその種が蒔かれたというような内容だった。ひとつひとつの作品から、あらゆる可能性が駄々漏れていた。まるでちいさな男の子の存在感のように。おじさんなのにこのガール感。マーマーマガジンも、自分(編集長)に内包するガール感っていうよりは、実は中島さん(アートディレクター)のガーリー味(み)に支えられての表現だったのかもなと帰り道、作品の色を反芻した。複雑なところのない、格好もつけていない、こころがただただあかるくなって陽気になる展示だった。これがこの2023年に行われたこともなんだか、すごく、安心できてよかった。中島さんという人物の存在感そのものだと思った。