2016年1月29日

雑感

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大きくなっている声が真実とは限らない。ちいさな声のなかにこそ、眠っている、光る、真実もある。あたらしい時代はそこここではじまっていて、その陽光による混乱が、今そこここにある。旧い考え、旧い体制、旧いありかた、旧いわたし。旧いなにかと終ってしまったなにかにしがみついて、「離れまい」とする叫び声が、そこここで響き渡る。そして叫び声の存在が、あたらしい時代がはじまっている事実を際立たせる。どんな混乱のあとも、時が経ってみれば、純粋なものと必然だけが残る。否、この瞬間も、本当は、何が純粋か、はっきりとわかっている。勇気を出して視線を向けさえすれば。わたしたちの中にある闇も、ひとたび鏡にうつって認識すれば、たちまち溶解する。ただ、目を向けるだけで――。時代は、想像しているよりも、あたらしくなりつつあり、そのスピードは加速している。あわてようが、あきらめようが、あたらしい扉は次々と音を立てて開いている。長いけれど引用させてください。

 

「自分が被害者になることを教えられた人というのは、加害者に出会うものです。だからといって、加害者がこれをいいわけにするわけにはいきません。加害者というのは自分が非常にパワーのない人間だと思っています。そのために他の人を支配することによって、自分のパワーを感じたいと思っているのです。でも人間は、これらをクリアにすることができます。(中略)

被害者と加害者は、お互いをひきつけ合っています。

加害者というのは、被害者の被害者なのです。

そして、被害者というのは、ある意味では加害者なのです。

被害者は、自分で加害者の弱みをつくようなバイブレーションを出して加害者をひきつけています。そして加害者にこういいます。『私はここにいるよ。ここにエサがあるよ。どうぞ私を攻撃してください』と。(中略)

加害者は、自分はパワーを持っているということを最も信じていない人です。

加害者は、どうすることもできないという寂しさを感じる人達です。でも、そういう感情を感じたくないわけです。そのために、自分よりももっとパワーを持っていそうだと信じる人を攻撃するわけです。そして、自分が攻撃した人よりも自分のほうがパワーがあるんだということを感じたいわけです。

本当は心の中では、沈みそうだ、死にそうだと思っている人達が加害者なのです。

加害者はひとりぼっちでいたくないのです。

自分達と同じように一緒に引きずり込んでいきたい人達なのです。

本当に自分のパワーを信じている人達は、この考えを誰にも押しつける必要がありません。自分の中にパワーがあるということを信じている人、そしてまた自分の欲しいものを得るために外界を支配したり、操作する必要がないと思っている人達は、加害者になる必要がありません。

このような考え方を、あなた方の社会に教え始める時、加害者はいなくなります。そして被害者もいなくなります。まったくいなくなります」

『バシャール②』(ダリル・アンカ|関野直行 VOICE=刊)より抜粋