2015年6月22日

美人薄命 

nonohana

自分の母のことを美人だとどうどうというのもどうかと思うが、若いころの母は確かにきれいだった。子どもから見ると母というものは美しく見えるものなのかもしれないけれど、母は、どこか野に咲く花のようなはなやかさがあり、面倒見がいい人で、とにかくよくもてた。女からも男からも老人からも子どもからも。よく笑い、よく聞き、よくしゃべり、子どものわたしでさえ、一緒に話していて、とにかくたのしい人だった。通夜の日、近所のわたるくん(小学生)と妹さんが来て、わたるくんは、天井を見上げて大泣きした。天井を突き破り天にも届く泣き声を母はどう聞いたか。告別式には、地元の岐阜はもちろん、名古屋から、神戸から、大阪から、広島から、たくさんの母の友人が集まった。母の思いが宿ったのか、母の友人たちを見るたびにただただ感謝の涙がこぼれた。69歳に亡くなるというのは、早いネ、という人もたくさんいたけれど、母としては大往生だったんじゃないかしら。肝臓がんがわかって10年。母は本当に身を粉にして病を超えていった。骨と皮だけになり、もう食事も喉を通らないような状態なのに、「(わたし)、ホネカワ……スジ……エ…モン」と謎の冗談をいったり、来る人来る人に、「ありがとう、たのしかった。天国から見守るネ」などと気丈に伝える姿はたのもしかった。最後の10日間は、肉体があってしかしもうないような、魂だけのような存在で、尊い空気が病室を満たしていた。その空気の中にいるのが不思議に心地よかった。祝福だけがあった。母を支えてくださった方々、お世話になった方々に、どれだけ感謝をしてもことばは足りない。母のこと、たいせつにしていただいて、本当に、本当に、ありがとうございました。肉体から離れる前、その瞬間、その後、どういう経験をしたか、いつか母にインタビューしてみたいと本気で思っているところです。きっと、母は、おもしろく答えてくれると思う。