2015年5月8日

美濃まつり

mino

美濃まつりの花みこしを見たのは、確か小学1年生のころだったから、今年見るのはほとんどはじめてだといっていいと思う。桜色の和紙でつくられた、まるで花がめいいっぱい開花したようなお神輿たち。実際に見てみたら想像よりもはるかに華やかで圧倒的で勢いがあった。お祭りの規模もいい。ちいさすぎず、おおきすぎない。人々の情熱が花みこしにここちよく集約されていて感動した。樽みたいなもので日本酒を水みたいに飲む人たちの姿も圧巻だった。もっとも胸に迫ったのは夜のにわかである。町に響くお囃子の音。23時になっても、人通りがなくなった町をまだねり歩いている。太鼓、笛、男たちのお囃子の声が、電線がひとつもない江戸のような町並みを潤していく。(電線は地中にあるそうだ)。ここはどこだ? 岐阜の美濃だ。のどか、素朴、純粋さという質を、物質化、現実化、顕在化させるとこの町になる。この土地全体の純粋さが、先祖代々、このわたしにも伝えられたことをこころから誇りに思う。春の強い日差しのもと、たっぷりとうつくしいものを堪能した。祭りがけっして暮しと分断されておらず、日々の暮しの延長上にあることも感じられて感動した。祭りは始終、神のまなざしの中、確かに愛のただ中にあった。