2014年3月6日

ともだちのこと

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c ittetsu matsuoka

ともだちというのに、ちょっと照れくさい、そんな 「ともだち」が、わたしには何人かいる。そのともだちをともだちと素直に呼ぶのがはずかしいのは、会った回数とか話した長さ、なんかじゃなくて、とてもつうじあっていることがお互いにわかっていて、ともだちとかそうじゃないとか以上に、そもそも名前をつけがたい関係だからだとおもう。いちばんちかいのは、家族ということばだけれど、それはそれで親密すぎる。でも、わたしにとってのともだちというのは、そんなふうに、距離も時間も超えて、たましいでつながる深い家族のような存在で、そういう相手は、そうたくさんはいないのもしかたがないとおもっている。そのともだちのひとりでmmaの相方、AYAちゃんが、子どものブランドをはじめました。ま、AYAちゃんに関しては、「彼女」(今風に読んでネ、「カ」じゃなくて「ジョ」にアクセントがくる感じで)っていうのがいちばん近いのかな? お互い、夫がいますけれどもね(てへ)。写真は、松岡一哲くん。一昨年のわたしたち。なつかしい! 一哲くんも、今展覧会開催中です。松岡一哲写真展(3/15まで@ダイトカイ)

2014年2月9日

香水のはなし

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わたしの母は、子どもだからそう思っていただけかもしれないけれど、わかいころ、とてもきれいだったと思う。高価なわけではないが、自分にとても似合う服を着て、自分にとても似合うアクセサリーを身につけていた。しかし、うろ覚えだけれど、あまりお化粧はしっかりしていなかった気がする。スキンケアもいいかげん。マニキュアをしたことは数えるほどしかなく(たぶん)、小学生のころだったか、突然マニキュアをした母を見て、大泣きしたこともある。まあ、そんな、そっけないというか、「ふつう」というか、飾り気のない母が、唯一いつもつけていたのが香水で、わたしも子どものころ、よく頭から香水をわりにたっぷりとふりかけられて(!)幼稚園などに行ったものである。そういうわけでわたしは今でも香水だけは好き。今日はひさしぶりに少し散歩して、外苑前のほうを通ったのととてもあたらしい気分だったこともあり、サンタ・マリア・ノヴェッラに立ちより、香水を新調することにした。選んだ香りは「エヴァ」。家に帰ってよく調べてみたら、タバコ、ベティベール、ブラックペッパー、ナツメグ、シダーウッド、ベルガモット、レモン、という組み合わせですと! 独特なさわやかさを感じて選んだのだけれど、タバコが含まれていたなんて。なお、先日読者のかたから、今つけている香りはなにですかと聞かれて、サンタ・マリア・ノヴェッラの「すずらん」とこたえてしまいましたが、「すいかずら」のまちがいでした。ごめんなさい。そういえば、母の父(つまりわたしの祖父)も、年齢を重ねてからも、淡く、香水をつけていたと聞いたことがある。香水好きの歴史は、こうして、わりにしっかりと続いていくものなのですね。

2014年2月3日

たのしい時間

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c fukutaro hattori

1月31日に旧暦のお正月を迎えて(新月でしたネ)、とくにその2〜3日前そしてその後と、これからの未来につづくような時間を、あちこちの場所で過ごした。大人のかたにもずいぶんお会いした。大人の時間は、それぞれ、詩、音楽、写真の世界とともにあった。詩と音楽と写真は、同じ次元を共有していると思う。3次元ではないどこか。わたしの中にあって、でも宇宙とつながっているエネルギーの場所。いいとかわるいとか、そういったことからすっかり解放された草っぱら。その場に触れて、わたしは心底自由な気分になった。わたしたちは、なぜ、生きるのでしょうね? わたしは、だんだんと、自由になることのために、自由な宇宙の子として生まれ落ちてきたように思いはじめている。宇宙人たち(!)と会って、ただ、そこに在る、というふうに在る、ということに思いを馳せている。人が死ぬのは、ただただ寿命で(いかなる死でさえも)、最近思っていたことは、絵本『かないくん』にはっきりと書いてあった。おわりははじまりで、はじまりはいつだっておわりなのだ。2014年はセンチメンタルな気持ち、というようなものから解放されるような、そういう時を人類が迎えるような気がしてみたりしている(おおげさ?)。それくらい、時の流れがはやく、すべてが同時の魔法を、味わうスタンバイが完成しつつある気がする。

2014年1月11日

すこしの毒

まんじゅしゃげ

ここのところ、つまりは年末年始、何をずっと考えていたかというと、「すこしの毒」ということであって、それは、冷えとり健康法の考えかたによるものである。「からだによいもの(あたためるもの)ばかりを食べると、からだが怠けてしまうため、反対の悪いもの(冷やすもの)を少し(全体の4〜5%)入れるとからだががんばってよい」というものだ。「フード左翼」的にいえば、添加物とか白砂糖とかアルコールとか……主に人工的に加工したものや、あとは動物性脂肪、地面の上に出ている野菜や果物、たばこ・お酒などの嗜好品は、からだを冷やすものであって、「毒」に匹敵するものだけれど、でも、この「すこしの毒」がからだに入ることによって、全体として、からだが鍛えられたりだとか、そのほか想像を超える何か作用がもたらされると思うと、ホントに、善も悪もない、悪や毒にだって、手を合わせたくなる、そんな気持ちになるよ、と思う。ぱっと見て、すぐに「あれはいい」「これは悪い」ってジャッジしがちで、でも、全体の作用として、たとえばですよ、人間関係で、「あの人ホントウザいネ」と思っている人だって、全体としては「すこしの毒」的に作用しているやもしれず、世界全体として何が起こっているのか、何が真実なのかははかりしれないなと思う。写真は去年撮影したうちの畑のまんじゅしゃげ。あまりに赤々としていて、その姿がぞっとするほど強烈で、スナックのどぎついお化粧のママみたい、といったら、父が「煮ても焼いても食えないような」とつけ足した。ひさしぶりに「煮ても焼いても食えないような」ということばを聞いたと思った。

2014年1月10日

最近のわたし

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ぜんぜん書く時間がなかったんです、というとうそになるけれど、書くエネルギーがなくなってしまっていたんです、というのは本当かも。昨年12月に、『マーマーマガジン20号』(これまでで最多ページナリ)、『あたらしい結婚日記』を脱稿してみれば、自分で感じていたよりも、こう、エネルギーを思いっきりつかっていたことがわかって、このブログはしばらくのあいだ、おやすみさせていただいきました(ごめんちゃい)。そのあいだに、掲載していただいたもの、です。

◎ウェブマガジン『greenz.jp』にて、「レイブル期」についておはなしさせていただきました
◎『GINZA』2014 1月号(マガジンハウス)スタンダード特集内「カラダのためのスタンダード」インタビュー
◎秋田県をPRするフリペ『のんびり』07号(2013 Winter)に詩を寄稿させていただきました
◎『誰もが幸せになれるハワイの叡智 ホ・オポノポノ』(宝島社)インタビュー
◎東京新聞、中日新聞 「家族のこと話そう」インタビュー

『あたらしい自分になる手帖2014版』(アスペクト)、『あたらしい結婚日記』(大和書房)(たちまち増刷)も、発売中です。もちろん『マーマーマガジン』20号(エムエム・ブックス)も!(とてもよく売れています)

と、まあ、ぼちぼち元気にやっています。
1/13(月)には、東京・青山某所で、メルマガ「服部みれいの超☆私的通信ッ」会員さま限定の「生☆超(なまちょー)」やります。メルマガ会員さまは、ユースト放送を見ることもできます! ひさびさに! mma(ンマーあらためエムエムエイ)のライブもやりまーす。ほとんど新曲なんだっちゃ! わちゃー! どうぞおたのしみにー。

2013年11月24日

みなさん、おかわりありませんか

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日曜日の夕方、ひとり編集部でふとカレンダーをみあげてみたら、11月24日……。じゅういちがつにじゅうよんにち!!!!!! がたぶるがたぶる。もうすっかり仕事のほうは年末のムードがぶりぶりで、12月と1月が1年のなかでもとくににがて(誕生月ってなにかきつくないですか?)っていうか、にがてっておもったはじから、クリーニングするしかないのですが、時の流れが速すぎて、もう、めがまわりそう。みなさんは、おかわりありませんか? わたしは、どうかな。かわっていくわたしと、かわらないわたしとあるけれど、どうなんだろ。今校了しているマーマーマガジン20号は、ぶりぶりの自然農法(自然農/自然栽培)特集です。あたらしいメンズも登場します。や、や、やばいです。センチメンタリズム、って、それなんやったっけ、って、かろやかに超えて、すいもあまいもごっくん飲み込み、許し、許し、許しのレッスンを重ねていくしかないですね。みたこともないような波、次々きてるで! サーフボードさえもちあわせていないけど、ポニョの気分で、もう、波の上を駆け抜けるしかない、の、かも。陽気が好きです。写真は、富士山山麓。どうでもいいけど、野尻湖湖畔、だったですね。

2013年11月14日

求心力が増しているのは

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高田馬場にある預言カフェへ行ったのはいつのことだったか。「トライアスロンのようにはたらいてきたあなたは、これから仲間を得て、たのしむ季節をむかえます」。そういわれたことがほんとうになったと今夜つくづく思い出した。猛烈に求心力が増しているなんて書いたけれど、それはけっしてわたしのことではなくて、仲間たちのことをさす。「マーマーな☆ダイアリー」を終了したら、「マーマーな編集部日記」「なにか福なこと日記」「冷えとりボーイの冷えとりダイアリー」「マーマーなブックス アンド ソックス日記」と編集部のみんながいっせいにブログをかきはじめた。いろんな草木がいっしょに育って、まるで自然農法の畑みたい◎先日会議で完全な自然の体験=奇跡(必然)が連続する状態について、話をしたら、アルバイトの倉橋孝明くんが、Powers of tenと、探偵!ナイトスクープ/四つ葉のクローバーの声が聞こえる少女!? の画像を送ってくれた。昨夜会ったUR中馬さんは、過去現在未来は同時だと、子どものころから思っていたといい、今日会ったアイリーンさんは、過去のできごともクリーニングできると、教えてくださった。えー、なんというギフト! やってみるしか手はないね。昨日はパトリック・ツァイさんに写真を撮影していただいた(12月売りのGINZAスタンダード特集で登場予定です)。ついさきほどは、詩を2篇入稿した。池田修三さんの絵に詩をつけるおしごと。こころがえんぜるになるおしごとばかり。毎日がはげしく夏休み、みたいです。写真は長野県野尻湖畔の森。

2013年11月7日

どうにもこうにも

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わたしの知人に「外食をしているときに携帯で写真をとる人を法律で罰してほしい」とせつに願っている人物がいるのだが、この写真くらいならゆるされるだろうか。いや、この「ことば」(ブログ)だって、あいかわらず、写真問題というのがあって(はい、カメラは新調しましたです)わたしなんて「ブログに空の写真をのっけるのはいかがなものか」と思っていたけれど、どうです、負けに負けている。いや、まじで、ホンマタカシ写真学校(こんなタイトルじゃなかったですね、青山ブックセンターでやっているやつ)に通ったほうがいいと思う。ま、でも、まずは、自分で工夫をしてみます◎年末に向かっているからなのか、猛烈に求心力が増しているからなのか、どうにもこうにも、ものすごい量の取材依頼、執筆の催促、その他各種依頼がやってきていて、お返事もままならなくなってきています。メールに返信できないかたがた、本当にごめんなさい。いったい全体……。アッセンブリッジポイントの移動と関係があるのだろうか?◎先日久々IH(インテグレイテッドヒーリング/上級キネシオロジー)を受けて、その体験について、少しだけ、メルマガ(今週配信の)に書いた。自分の想像を超える治癒、自分の知っている範疇を超える現実って、けっこう簡単にやってくるものなのかも。全部、自分で決めているだけで、本当は軽々超えられる、のかな。「思い」のちからはすごいですね。写真は夏の思い出。ああ、もう3世紀前くらいみたいだ! 

2013年10月31日

秋なんです

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自分の声を、過去や未来の自分に飛ばしてそれが届くかどうかは実験してみないとわからないが、少なくとも17歳のわたしは、その前後数年間に比べて、かなり「だいじょうぶ」だったのは確かだ。いろいろあるけどわしは元気です(要約?意訳?広島弁?)みたいな感じ。するってえと? あの声は届いていたのかもしれない、ネ。それにしても、時の流れがはやくなっているとはいえ、なになの、このはやさは! そのうちスピードというものも感じないくらいはやくなっているかもしれない! 数年前なら「えー」っていうことだって、あっという間に受け容れているかもしれない。一方で、まったく時間が動いていない世界もあるかもしれない。一方はものすごいはやさで、一方はまったく動いていないの。パラレルワールド。マーマーマガジン20号の農業特集後編、ようやく編集に戻りました。この号は、さらにやばいです。いやらしい東京日記(仮)も、編集が進行中。何でもかんでもつきつめていくと、芸術、なんですね。本を編むということに内在する、ある種の次元越え、みたいなものも体験していて、なんだか身ぶるいしている秋なんです。

2013年10月25日

名古屋で17歳の自分に声をかけてみた

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(つづき)甘い感じに守られている感覚というのは、こう、けっして田舎だということではない、都会なのだけれど、名古屋特有の、人と人との距離感があって、それが、こう、重なっている度合いが独特というか、ある意味、家っぽいというか、悪い意味ではなくてべたっとしている部分がまちがいなくあって、それに、意識的か無意識的かに関わらず、おそらく、その部分に、名古屋の人は思っているよりも、守られているのではないか? ということだ(何書いてんだかわけわかんないですね、すみません)。トークショウの前日、少しだけ時間があったので、思春期のころ過ごした実家の近くまで行った。駅から中学校への道のり、喫茶店、酒屋さん、高見ストア、急な坂、坂を振り返ればテレビ塔、見慣れた大邸宅たちを、興味深く、見た。坂道だらけの実家のあった場所には、見慣れないマンションが立っていた。突然、わたしは幾度となく行き来した坂道を振り返って、17歳の自分に、「だいじょうぶだよ」といってみた。その声が、17歳のころの自分にしっかり届くように、短い時間だったが相当集中して声を届けた。その声があったから、今、わたしはこうして生きているのか、名古屋の人々が編み続けているそこはかとなく甘い部分が守ってくれたのかは、わからない。坂道では、もう亡くなってしまった中学時代の同級生の秀才I君と、池下の交差点で一度だけすれ違ったことのある高校時代の同級生M君のことを思い出していた。M君は、大学に入ってからバイク事故で亡くなったと人づてに聞いた。I君は、「服部は、もう、なんとかやっていけそうだな」といった。M君は、高校生のころのように、少しだけ笑ったまま、だまっていた。時間は同時、の扉が、名古屋の夕暮れの坂道では、ほんの少し、開いていたようだった。

2013年10月23日

名古屋へ行ったあと、先ほど脱稿した

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今朝がた、『あたらしい東京日記』の続編をおよそ脱稿した。エッセイも含めたら、26、7万字はある。にっ、にじゅうろく、ないしはななまんじ。担当編集者の小宮さんは、いったいどうやってあの本を編集するおつもりなのか? 文字をちいさくするのか? 段組を増やすのか? もしくはばっさり削るのか。いや、それしか方法はない。どの部分が残されるか、それは読んでのおたのしみ。2012年春から2013年春まである。およそ毎日書いた。書きに書いた。日記を書くという行為はほとんど中毒みたいになるもので、書いていないと、だいたい朝も昼も夜も、ベッドに入ってからだって、日記で何書くかばかり考えるようになって、手だって震えてくる(うそです。でも中毒になるのは本当)。それにしても名古屋は活気があった! 全体として甘かった。甘いといっても、なんというか、名古屋特有の甘辛い味そのまま、いい感じのべったり甘えた安心感が、街にそこはかとなく漂っていて、その甘さに、名古屋の人たちがしっかり守られていた。素直だった。名古屋の人たちの誰もが素直でまっすぐだった。シンプルだと感じた。水もよかった。テレビ塔は昭和だった。大須はカオスだった。YURIはまだ角にあった。本山の坂道はあいかわらず横浜みたいだった。コンサバかと思いきや、栄の街をスケボー少年が、ずるずるごーごーと、大人数でスケボーを乗り回していて、安心もした。名古屋巻きは見なかった。トークショウのお客さまがたはたいへん陽気だった。全体として、守られている、という感じがした(つづく)。

2013年10月10日

あたらしいメンズ

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野外上映会で楽しませてくださった有坂さんとは、この日のフェスではじめてお会いした。上映会がはじまる前、福太郎さんとわたしは、有坂さんが番をしていたちいさな焚き火の前に座らせていただき、有坂さんから、19歳まで『グーニーズ』と『E.T.』しか見たことがなかった話、新宿のレンタルビデオやさんでの痛快なエピソード、など時間をかけてうかがう機会にめぐまれた。有坂さんの、わけへだてない、実に調和的な、映画へのまなざしが、夜になって冷えてきたからだに沁みた。「こんなにオレは知っている」とか「難解な映画についてのうんちくあれこれ」とか、そういう映画論、的なものから、完全に解き放たれたまなざしに、ヤられた。やさしいのです。映画に対しても人に対しても。「オレオレ」じゃないの。聴けば、有坂さんは、19歳までサッカー少年で、Jリーグのテストも受けたほどの腕前とか。偶然だけれど、一緒に聴いていた福太郎さんも元ラガーマンだけれど絵本好き。しかも高校時代は、激しいラグビーの練習が終ったあと(彼もまたとても強いチームにいた)、かばんを置くやいなや本屋さんにかけていき、月刊カドカワに投稿した詩が掲載されていないかチェックしにいっていたポエマーでもあった。体育会系なんだけれど、文化系、な人たち。そうそう、この日、似顔絵を描いてもらった男性もやはり体育会→芸術大学進学、の人だった。ハイブリッドなメンズたちには、大人になんかわからない魅力がまだまだ隠れている。今までとはちがうやりかたで、あたらしい世界をひらいていこうとしている。女性性と男性性は、わたしたちが思っているよりも融合しようとしている。「焚き火の前にはキアヌ・リーブスとリバー・フェニックス(男ふたり)」に、混ぜてもらって気持ちが舞いあがったからではない。嬬恋の山のなかで、あたらしいときがひらきはじめているのをわたしは見た。あたらしい男性たちが、あたらしい女性たち同様、その鍵を、大きくてやわらかい手のなかに、しっかりとにぎっている。

2013年10月6日

山のなかで聴いた

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先週の週末は、軽井沢のちょっと先、嬬恋というところにいて、湖と山と野っ原と雲と神秘的な光と、秋というよりは冬みたいな透明な空気の中で、ただ、過ごした。日中はサングラスをしていないと目を細めてしまうほど明るく、一方陽がかげればダウンジャケットを羽織りたくなるほど寒い。URの10周年記念の野外フェスということで、トークショウをさせていただいたり(くわしくは今週配信のメルマガへ)、古い友だちやあたらしい友だちと語ったり、熱いお茶を飲んだり、パンを火であぶって食べたりしてたのしんだ。夜は、キノ・イグルー有坂さんの上映会が秀逸で、Sigur Rosのこの映像と音楽を、キャンファイヤーを背に、大勢のひとたちと観たことは、中学生のときに行った修学旅行の夜のできごとくらいのパンチ力で、記憶に深く刻まれた。今、AYAちゃんとやっているmmaというバンドで、わたしたちがなにをどうしていったらいいのか、山のなかで聴いたこの曲が教えてくれた。

2013年9月26日

最近の関心

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© Fukutaro Hattori

塩浴◎風立ちぬについて、とびきりおもしろいという人とそうでない人がいて、どちらの見方もいいと思うのだけれど、どういう心象状態みたいなものが、それに作用するのかについて◎あちこちで見られる価値観の反転◎断食と部屋を片づけたい衝動との関連性◎書いている本のこと◎これから書く本のこと◎今日の夕ご飯を何にするか(たぶん玄米をつかってリゾットをつくる。プチトマトの水煮缶、実家のバジル、大豆からできたチーズをつかって。里芋も蒸したあとにオリーブオイルで焼く。しかし大豆ミートをフライにして食べてみたい欲求もある)◎明日からのフェスにもっていくもののこと◎mmaのライブをどうとりおこなうかについて抜本的に◎ルドルフ・シュタイナー◎コズミックワンダーのNYコレクションについて◎意識が世界にどう作用するのか◎フェスで着るものについて(10℃の場所で人間はいったい何を着ているのか)◎する→あるのではなくて、ある→もつ→する、というこの宇宙のうるわしい本当の順序について◎シリウス星人の類似性◎来年をどうすごすか◎書く場所を整えることについて◎憂いを5秒後に好機に変えること◎リバー・フェニックス再び◎スタンディングのサーフィンまたはボディボードをするかどうか◎クリーニングの効果について◎引き寄せの法則◎たのしみなことあれこれ……って、ひま人ですね。写真は、歯痛が酷かった夜に、応急処置として、絹のレギンスでつっている様子。絹のレギンスであごをつるのは、効果てきめん。はっ、わたしのしている☆のペンダントは、裏原のマジックシアターというちいさなお店で見つけました。

2013年9月20日

ふしぎなはなし3

せっちゃん3

だからなに、といわれたらそれまでだけれど、ものすごい勢いで、何をしたらいいかわからないからっぽというものがあると、すごいものがどしどしと入ってくる、というような話。やー、ものすごい感激した。あんまり気分がよかったので、そのまま福太郎さんは、せっちゃんのアシスタントをキメにキメ、「ヘイ、タクスィ!」といってタクシーをとめてみたり、荷物をもちまくってイイ気分になったり、すごくたのしかったみたい。あんまりおもしろいので、そのまま3人で、超多忙なせっちゃんを誘って、夕ご飯を食べようと、夜の青山に消えたのでした。もう一度整理すると、1自分たちに何もすることがない/何をしたらいいかわからない 2せっちゃんがなぜか道をまちがえた 3そのまま流れにのった 4想像もしないところへいった 5いちばん知りたい情報や知恵がてにはいった。おまけ/同じ媒体の仕事を同時にしてて、同時に会った。まあ、引き寄せの法則ってことなのかナ。むー、なんだか人生そのものみたいでしょう!(どう?)つまるところ、何にもない自分ってのもすてがたいよ、人生ってすてたものじゃないよってことがいいたかったのでした。せっちゃん、みんな、本当にありがとう!(おしまい/ウインク)