2013年10月25日

名古屋で17歳の自分に声をかけてみた

朝日2

(つづき)甘い感じに守られている感覚というのは、こう、けっして田舎だということではない、都会なのだけれど、名古屋特有の、人と人との距離感があって、それが、こう、重なっている度合いが独特というか、ある意味、家っぽいというか、悪い意味ではなくてべたっとしている部分がまちがいなくあって、それに、意識的か無意識的かに関わらず、おそらく、その部分に、名古屋の人は思っているよりも、守られているのではないか? ということだ(何書いてんだかわけわかんないですね、すみません)。トークショウの前日、少しだけ時間があったので、思春期のころ過ごした実家の近くまで行った。駅から中学校への道のり、喫茶店、酒屋さん、高見ストア、急な坂、坂を振り返ればテレビ塔、見慣れた大邸宅たちを、興味深く、見た。坂道だらけの実家のあった場所には、見慣れないマンションが立っていた。突然、わたしは幾度となく行き来した坂道を振り返って、17歳の自分に、「だいじょうぶだよ」といってみた。その声が、17歳のころの自分にしっかり届くように、短い時間だったが相当集中して声を届けた。その声があったから、今、わたしはこうして生きているのか、名古屋の人々が編み続けているそこはかとなく甘い部分が守ってくれたのかは、わからない。坂道では、もう亡くなってしまった中学時代の同級生の秀才I君と、池下の交差点で一度だけすれ違ったことのある高校時代の同級生M君のことを思い出していた。M君は、大学に入ってからバイク事故で亡くなったと人づてに聞いた。I君は、「服部は、もう、なんとかやっていけそうだな」といった。M君は、高校生のころのように、少しだけ笑ったまま、だまっていた。時間は同時、の扉が、名古屋の夕暮れの坂道では、ほんの少し、開いていたようだった。