2014年4月2日

マガジンとジンのあいだで何かをいう

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「お願い聞いて、マザー・ファッカーズ。私は、アメリカじゅうにいる何百人ものファンジン・ライター男子たちと違って、耳を傾けてもらうことを正真正銘必要とし、必死に望んでいる。私がジンを作っているのは、人を楽しませるためでも、気晴らしのためでも、誰かを締め出すためでも、ほかにもっと上手にできることがないからでもなく、もしわたしがこういうことを書かないでいたら、ほかの誰も書きはしないだろうからだ。トビ・ヴェイル『ジグソー3号』」『ガール・ジン 「フェミニズムする」少女たちの参加型メディア』(アリスン・ピープマイヤー=著 野中モモ=訳 太田出版=刊)より抜粋

ここのところ(ていうか創刊以来ずっとか!)、マーマーマガジンについてあらためて考えていて、わたしの場合は人を楽しませるという要素も入ってはいるけれど、おおむね、トビ・ヴェイルさんのいっていることと同じ気持ちで、かつ、マガジンとジンのあいだで何かいう、ということを一層たのしんでいるし、この場が本当に自分には合っていて、その意味をあらためて捉え直すのに、21号(4/17発売予定)の制作はとびきり役立った。そうそう、このブログの写真に占める割合が大きすぎて(希望したわけではないけれど、このデザインがとーっても気に入っていて、かたちに自分を合わせるのもいいと思った)、ホンマタカシさんの写真教室に通ったほうがいいと思う、と、以前にこのブログで書いたのだけれど、本当に、この春から「第7期 たのしい写真教室」の生徒とあいなりました。写真を撮ることにコミットしたことがないわたしが写真の教室に通うことにした理由は、1、このブログの写真のため。2、わたしのことばのため。3、自分がありきたりな自分になることに辟易するから。あたらしくなりつづけることにしかこたえはなく、あたらしくなるということは、幻想から目覚めて現実に生きるということにほかならないですね。たくさんの人が本当の意味で本心にしたがってしあわせのために生きたなら、自然破壊だって止めることができるのかもしれません。いつだって文通の延長上の感覚で。peace of I