2013年10月23日

名古屋へ行ったあと、先ほど脱稿した

空

今朝がた、『あたらしい東京日記』の続編をおよそ脱稿した。エッセイも含めたら、26、7万字はある。にっ、にじゅうろく、ないしはななまんじ。担当編集者の小宮さんは、いったいどうやってあの本を編集するおつもりなのか? 文字をちいさくするのか? 段組を増やすのか? もしくはばっさり削るのか。いや、それしか方法はない。どの部分が残されるか、それは読んでのおたのしみ。2012年春から2013年春まである。およそ毎日書いた。書きに書いた。日記を書くという行為はほとんど中毒みたいになるもので、書いていないと、だいたい朝も昼も夜も、ベッドに入ってからだって、日記で何書くかばかり考えるようになって、手だって震えてくる(うそです。でも中毒になるのは本当)。それにしても名古屋は活気があった! 全体として甘かった。甘いといっても、なんというか、名古屋特有の甘辛い味そのまま、いい感じのべったり甘えた安心感が、街にそこはかとなく漂っていて、その甘さに、名古屋の人たちがしっかり守られていた。素直だった。名古屋の人たちの誰もが素直でまっすぐだった。シンプルだと感じた。水もよかった。テレビ塔は昭和だった。大須はカオスだった。YURIはまだ角にあった。本山の坂道はあいかわらず横浜みたいだった。コンサバかと思いきや、栄の街をスケボー少年が、ずるずるごーごーと、大人数でスケボーを乗り回していて、安心もした。名古屋巻きは見なかった。トークショウのお客さまがたはたいへん陽気だった。全体として、守られている、という感じがした(つづく)。