2025年4月8日
えみおわす20周年「祝福」のこと
えみおわすを知ったのは、マーマーマガジンを創刊したころのことだった。忘れもしない、代々木公園のアースデーで、板を斜めにして、そこに服をぺたんと並べているお店があった。何度かその前を通ったけど、その静謐なムードに何か緊張してしまって手に取ることはなかった。やがて、わたしのまわりのヨガの先生とかデザイナーさんとかが、それはすてきな、どこの国かわからないようなパンツを履いて現れるようになった。それがアースデーで印象に残っていたえみおわすのパンツだった。
はじめてはいたのがリスパンツだったと思う。自分はずっと天然自然の世界と、人間のおしゃれの世界を繋げたい、どちらかに偏ることのない、その中庸をあらわし続けるような本や雑誌をつくりたいと思っていた。えみおわすを知って、とっくにそうしている人たちがいたと衝撃を受けたし、安堵もしたし、リスパンツを履くことは、自分はこう暮らしていきますという静かな表明でもあった。主張ではない、ささやかな表明。
えみおわすの阿部直樹くんと順子さんとすぐに知り合いになり、まだ彼らが最後東京の郊外にいる頃、映画『ミツバチの羽音と地球の回転』を一緒に見たことも昨日のことのようだ。東日本大震災を経て、これからどうするかという意識の中にともにいた。えみおわす家族は岡山へ。わたしもその後、岐阜へ。ほどなくして、美濃のお店でえみおわすの展示をするようになった。東京にいた頃みたいに、直樹くんとふざけた話をして笑い合ったり、あたらしく得た健康情報を交換したり、岡山へ行った時は彼らの暮らしぶりにたくさん影響を受けた。移住も、畑も、暮らしのあっちもこっちもえみおわすの真似っこをするわたしたちである(あんなにたくさんの動物と暮らすことはまだ叶っていないが)。
順子さんの、民族衣装への尊敬の思いに溢れる意匠、想像を超えるような丁寧な縫製、うつくしく心身によりそうやさしい布たち、何より清潔な感性がどの服にも宿っている。「自然派」みたいな浅い言葉では括れない、同時に、口数の多い、主張の激しい思想など入らない、静かな服。えみおわすは、あのアースデーでみた頃からまったく変わっていないし、同時に、日々、それは細やかに進化し続けている。
3月14日に東京・代々木上原で行われた20周年の会では、ピアニストの平井真美子さんが希少な古楽器を演奏する演奏会が行われた。草原を風がかけめぐるような風景がたちまち現れるようだった(真美子さんは陽気な天女のような、世界の少女たちの代表のような方だった!)。お料理は後藤しおりさん。弾けるような活き活きとしたエネルギーに満ちた力強い味が並んだ(6年ぶりにお会いできた!)。ずっとお話したかったルヴァンの甲田幹夫さんとお話できたり、同じく初めてお会いしたまこさんとは突然編集会議になったり(!)、古くからの友人知人、会いたかった人、久しぶりの人、本でしか知らなかった方々ともお会いできた。森山直太朗さん、良子さんの歌声を聞いて、かぶりつきでみていたわたしは、気づけば滂沱の涙で、「直樹くん、順ちゃん、本当によかったな」とそればかりを思って、また涙が流れ続けた。直樹くん、順子さんは、岡山で水の問題にも立ち向かっている。この会では、絵や写真の展示もあって、順子さんがどの行を足しても369になるとても大きな木版画を展示しておられ、会のテーマである「祝福」を力強くあらわしていた。この会を経て、また、わたしたちはあたらしい時代に足を踏み入れたんじゃないか。今までよりももう少し確かな、地に足をつけた少しは成熟した時代へ。祝福の空気を纏い、何かそういう新鮮な気持ちでいっぱいになった夜だった。
こころの通い合うとてもあたたかな会だった。