2014年6月26日

ドモンジョ わたしの家族 2

domoちゃん_001
Takayasu Hattori

わたしは、もう10年も前から、ドモちゃんのいのちへの覚悟をしていて、ミルフィーユ状になった覚悟がわたしをしかと支え(実家を出るときに、これで見納めかもしれないと毎回顔を見てきた)、いよいよその時を迎えるにあたって、ただただドモちゃんへの感謝の気持ちしかなかった。東京でドモちゃんを飼いはじめたころのわたしは、はじめて体験する人生最悪のときで、ドモちゃんが存在することで、消え入りそうないのちをなんとかもちこたえているような日々だった。涙をぽろぽろと流して、それをドモちゃんがなめてふいたこともあった。一緒にポテトチップスを食べると、ドモちゃんのぽりぽりという音と、わたしのぽりぽりという音が重なって、がらんとしたひとり暮らしのワンルームに、響いた。女同志、ちいさく、身を縮こまらせて、ただ息をして生きていた。ようやくわたしの生活が体温を取り戻しはじめたころ、ドモちゃんは、東京を離れて実家で暮らすことになった。