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『好きに食べたい』

  • 毎日新聞出版=刊
  • 2020年12月19日発売

毎日新聞「日曜くらぶ」にて、2017年夏から2020年秋にかけて連載していた「好きに食べたい」がタイトルもそのままに1冊にまとまったのが、この本。時系列で連載時のすべてのエッセイが掲載されている。加筆したエッセイは、2018年に書いて掲載しなかった1本と、直近に書いた3本もプラスして収録させていただいた。

どうもタイトルが誤解を呼びそうだが、この「好きに食べたい」は、自分勝手になんでもかんでも食べたい、好き放題、やりたい放題したい、という意味ではない。からだとこころが整ってきて、ほんらいの人間の姿に戻っていったならば、「頭」でこれを食べたほうがよい、とか、栄養学的に何が正しい、とか、最先端の情報としてこれがよい、とか、からすっかり自由になるだろうとわたしは思っている。どの人の中にも自然=神性がほんらい宿っており、目醒めた人が感じる「たのしい」は、かならず、神性につながっていると感じている。その人が「好きに食べたい」とよろこびをもって食べたものは、きっと、からだにもこころにも、自然環境にも理に適ったものになっていのでは? ……と、そんな気持ちがこもっている。もうひとつ、さまざまな人の多様性を受け入れたいという思いもある。一般的な食の情報は、すごく偏りがあるように見える。他の業界同様、大企業主義というか、なんでもビジネス中心になっていて、どこか経済優先で、人間不在あるいは自然不在のしくみがはびこっているように思うのだ。テレビや新聞や雑誌やネットではなかなかたどり着けない情報の入り口にも、この本がさりげなくなっていたらとてもうれしい。

よく子どもが偏食だとか食べないとかいう悩みがマーマーマガジン編集部に届くが、子どもこそ、ほんとうは、自分が何を食べたらいいかとか適量とかがわかっているんじゃないだろうか。ほとんどモノを食べない子、エムアンドエムズしか食べない子、の話も聞いたことがある。でもみんな育つ(天上の周波数が多い子どもは、この地上に慣れるために、わざわざ穢れたものや邪悪な食べものを食べると聞いたこともある)。さいきん、この人間に宿る自然と、身につけるべき社会性とのバランスについて、ずっと考えているような気がする。人間のからだは優秀だけれど、「頭」ってほんとうにどんくさいなあとか……と。話がそれましたが、本じたいは、気軽に読めるエッセイ集です。たくさんのおいしい思い出、日々の食事のこと、田んぼや畑の初心者としての経験、などなど。後半フランス家庭料理に夢中になったりしているが、さいきんのわたしは、いつかキムチを自分でも漬けてみたいなあとか、来年こそは、美濃で鮎寿司を習いたいなあとか、あいかわらずいろいろなことを思っている。毎週毎週エッセイを書くのは、ほんとうにたのしい経験で、毎日ネタにもことかかないし、今でもどこかで続きのエッセイを書きたいほどだ。

それにしても、個人個人が、ほんとうのほんとうに、五感も第六感も使って、自分がほんとうに何をしたらほんらいの自分が喜ぶのか、つきつめる機会がただただ少ないなあというのもさいきんよく自分が思っていることだ。自分が「たのしい」とか「おいしい」と思っていることでさえ、あるいは「〜したい」と思っていることでさえ、ほんとうは、どこかの誰かがいっていることや、集合的無意識が入り込んでそう思いこまされているだけなんじゃないか。ひとりひとりが、とことん自分を見つめるなんていうことができたなら、この世界を変える静かな革命になりそうだ。食がその入り口になったならどんなにすてきだろう。