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『わたしの中の自然に目覚めて生きるのです』

  • 筑摩書房=刊
  • 2014年11月27日発売

「あたらしいあたらしい」といいつづけて早3年。いや、もうすぐ4年。あたらしい自分だの、あたらしい時代だの、あたらしい意識だのって、いったいなんなんだ! 今の自分で充分じゃないか! 「ちがう自分」を目指すってなにごとぞ! って、そんな意見もよくわかるのですけれど、そういうことがいいたいんじゃなくて、おそらく、わたしが感じていることは、「そうはいったって、時はあたらしくなりつつある」、「あたらしい意識というものが生まれつつある」ということであり、また、「あたらしいわたし」とは、今のわたしじゃないわたしなんかになることではなくて、自分の中に眠っている自分の核みたいなもの、本質的な自分とでもいおうか、(一般的には本来の自分なんていいかたもしたりしますが)そういったところで生きるしかなくなっているんじゃないかということです。小手先じゃ利かなくなっているよねー、みたいな感じ。もっといったら、「小手先で生きる人と/丹田(肚)から生きる人」「頭で生きる人/たましいで生きる人」というふうにすごいいきおいで二極化している/いくのかもしれません。そんな中、じゃ、どうしていったらいいのサ、といったときに、わたしが出合ったふしぎな世界の人たちからの知恵に、わたしの考えも含めながら、「わたしの中に眠る自然」をしっかり感じて、そこから生きたらいいんじゃないか、と、メールと携帯、脱毛、セックス、加齢、問題が起きたら、呼吸のこと、からだの不調、食、お金、メディア、死、ヒーリングやセラピーなどなどについて、エッセイとして書き下ろしたのがこの本です。わたしの中に眠る自然とは、愛とか神とか神性とか聖性ということもできます。わたしは、何かや誰かをどうにかしたいという思いがそんなに強くあるわけじゃないけれど、誰もが過不足なく、自分のことを好きだなーとリラックスしている状態をのぞんでいるんだな、と最近感じています。エゴっぽく自分が自分がという方向ではなく、「無私」になる方向で、自分を受け容れている、という意味で。だって、それのほうがたのしそうだから。平和じゃん! そのほうが! ということで、この本が、そんなことに少しでも役に立つことができたならうれしいなと思っています。みんな、ひとりひとりの中に、おもしろいものがいっぱい眠っているのは本当のことだからです。そこを発動するときが、本当にきているって、心底、思っているのです。